03 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 05

メテオ・ストライクス!

いろんな分野で独り言を日々書きます。稼働終了したセガのクイズゲーム『Answer×Answer』を振り返る事もあります。

あの"エルフ"の終焉 

【エルフホームページ閉鎖のお知らせ】

平素は格別なご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
また、日頃より「エルフホームページ」をご愛顧くださいまして、誠にありがとうございます。

長年に亘り皆さまにご利用頂いておりました「エルフホームページ」ですが、2016年3月31日をもちまして閉鎖させていただくことになりましたので、お知らせ申し上げます。

現在ご利用いただいております皆さまには、大変ご不便をおかけすることとなりますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

また、情報メール「エルフ速報」の配信につきましても、終了させていただきます。
株式会社エルフにご登録いただきました個人情報につきましては、全て責任を持って削除させて頂き二次利用は行いません。

これまで「エルフホームページ」を支えてくださいました皆さまには、心から感謝を申し上げますとともに、サイトを閉鎖いたしますことを深くお詫びいたします。
長年にわたりご愛顧くださいまして、誠にありがとうございました。

エルフソフトのサポートに関しましては、引き続き対応してまいりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2016年3月1日 株式会社エルフ

(転載ここまで)


パソコン(あえてPCではなく)で遊びまくった世代としては、非常に物悲しいニュースであります。
家庭用ゲーム機でいえば、スクウェアがアホな映画作って潰れかけて、エニックスに救ってもらった一件に近いものがありますが、まあ…00年代以降は時代にノレていなかったから、やむを得ないとも思います。
エロゲを隆盛に導き、市場を拡大させた功労者的存在でありながら、近年は知る人ぞ知るエロゲ(『彼女はガテン系』とか)を細々と商売してましたし。
悲しんでいるのは、おっさんばかりなんだろうなあ。

エルフは1989年の設立。(本棚から『エルフマニアックス』という本を引っ張り出して書いてます)
この当時の自分はまだ富士通FM-77AV40EXを使っていたので、エロゲの世界には足を踏み入れてません。だから『ドラゴンナイト』シリーズや『DE・JA』『ELLE』といった初期のソフトはほとんど触れてません。
PC-98を入手したのが…1991年かな。だから…92年発売の革命的エロゲ『同級生』には、すぐに飛びつきました。コピーじゃなく、ちゃんと8800円出してソフト買いました。
『同級生』についてはいずれ書くつもりなんですけど、とにかく陽気なシナリオ、美麗なグラフィック、時間とマップの野心的なゲームシステム、複数同時攻略が可能、魅力的なキャラクター…など、全方向にクオリティが高かった。ゲームとしては『同級生2』よりもコッチが好き。
その『同級生2』は1995年発売。即買いましたとも。
一段と深化したシステムとキャラクターは素晴らしいの一言。ただ…一人一人のシナリオが深まった分、複数同時攻略は難しいゲーム性になったのが個人的に残念。純愛寄りになったとも言えるか。
そして同じ1995年、…もう一つ忘れてはならないのが『遺作』ですよ。
いわゆる伊頭三部作の始まりですけど、この…息詰まるゲーム性は素晴らしかった。職場から帰って、夜中真剣にやってましたわ。繰り返しやるタイプではないけど、実に満足したソフトでした。
1996年は『下級生』『野々村病院の人々』『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』という充実の3作品を生みだしてるんですが、この3作品、自分は全てセガサターン版でやってますw。
この3作品から、PC-98版はハードディスク必須になっちゃったんですよね。ウチのPC-98に限界が訪れた訳です。ちょうどWindows95の時代に突入したこともあって、自分はパソコンをやめました。(たぶんこれから買い換えが頻繁になる予感がしたので)
96年の3作品はどれも大変面白かったんですけど、特に『下級生』は『同級生』システムの集大成で大好きですね。『下級生』はPC版をやりたかったなあ。
ここから後の、『臭作』『鬼作』『下級生2』『ワーズワース』『河原崎家の一族』『愛姉妹』…などなどのソフトは、セガサターン版も出ず、パソコンも無い自分はやっておりません。『臭作』『鬼作』はエロアニメ借りて見たけども。『下級生2』のメインヒロイン非処女騒動とかも「アホやでこいつらw」と眺めていました。

自分にとって、エルフのエロゲ最大の魅力はシステムでした。
00年代に入ってから【DVD-PG】ってのが出たじゃないですか。DVDプレイヤーで出来るエロゲ。
パソコンを持たない自分には非常に有難いモノでしたが、逆に言えば…アレは90年代末に勃興したエロゲの潮流を現したものだと思うんです。一本道でたまに分岐するだけ。
別に、LeafやKeyのソフトをディスってる訳じゃありませんが、感動させる系統の脚本さえ用意出来れば、あとは分岐だけ作っておけば成立するという、DVD-PGでも何ら問題無く移植出来る単純な紙芝居。
エルフのソフトは、決してDVD-PGに移植出来ないとこが魅力だったんですよ。決して一本道ではないし、繰り返し遊ぶことを前提としたものでした。『YU-NO』の"A.D.M.S"とか、『下級生』の同じ娘と寝る度にグラフィックが変わっていくとか、最高過ぎます。
そういう練ったシステムがよりも、物語性がウケるようになっていくと共に、エルフは急速に落ちていきます。
(まあ、蛭田昌人取締役の引退、竹井正樹との決別、剣乃ゆきひろが『YU-NO』だけで退社、『下級生2』ヒロイン非処女騒動、あかほりさとるまで巻き込んでアニメ化した『らいむいろ戦奇譚』不発…など、いろいろあったのも事実ですけどね。特に竹井正樹と決別したことで『同級生3』が永遠に無くなったのが…)

今やエロゲ業界は衰退の一途を辿り、エロゲという媒体から何か生まれるという事すら無くなっている有様。エロゲのノベルズ化も見かけなくなったしねえ。
こんな状況ですから、老舗で栄光の過去を持つエルフが活動停止になってしまうのも仕方のない事なんでしょう。
先頃PS Vitaでリメイクされた『YU-NO』は、リメイクの許可を得るため話を持ちかけたら…エルフ側から「もうウチにはリメイク出来るスタッフもいないんで、権利を買わないか?」と言われて権利ごと買い取ったというエピソードを聞きました。なんて哀しい…剣乃ゆきひろの傑作が…。
エロゲという市場が無くなり、DVD-PGでも遊べないエルフの名作群は…もう二度と遊べなくなるのでしょうかね。何らかの形で、18禁指定のエルフのゲームを遊べるようにしてほしいです。スマホやタブレットで気軽に遊べれば…。
ぜひ、そうなる事を期待しています。おっさんは気長に待ちます。
スポンサーサイト
2016/03/02 Wed. 08:19 | trackback: 0 | comment: 0edit

『栄冠は君に2』PC-98版(アートディング) 

今年も高校野球が盛り上がっております。
長崎の創成館が1回戦突破、富山の高岡商は惜しくも敗れたものの8点差を追いつく素晴らしい馬鹿試合で、オコエのポテンシャルを存分に引き出しました。今大会最大の注目選手であるオコエには期待してます。
野球が好きという事もありますが、やっぱ高校野球はいろいろと別格の面白いイベントなんですよね。
その高校野球のゲーム化に挑んだのが、アートディングの『栄冠は君に』シリーズ。自分が嬉々としてやり込んだ"2"の話を中心に書きたいと思います。

80年代後半から90年代前半のアートディングは、パソコンゲームという特性を最大限に活かして名作を次々にモノにしていた、ファンの支持の厚いメーカーでした。
『A列車でいこう』『トキオ』『THE ATLAS』『大海令』『天下御免』『ハウメニロボット』『関ヶ原』『ルナティックドーン』………といった、他のメーカーがあまり手を出さない分野のシミュレーションを次々と開発し、出来もかなり良かった。アートディングの新作が出たと聞くと「今度はどんなゲームなんだろ」とワクワクしたもんです。
ただ、ゲームの深さ故に…ほとんどが"PC-98用"でして、パソコン遍歴が…FM-77D2→FM-77AV40EXという富士通っ子の自分には縁遠いメーカーでしてw。初代『A列車でいこう』のFM-7版はやったけどね。
だから、高校野球シミュレーションゲームの『栄冠は君に』も、初代については指をくわえて眺めてるだけでした。

そんな自分が、ついに富士通8ビットに見切りをつけ、ようやく「念願のPC-98を手に入れたぞ!」と歓喜したのが…確か1990年のいつ頃か。中古のPC-9801EX2とモニタを分割で買ったのです。
(PC-9801EX2は、PC-98には異色の3.5インチフロッピー採用機種。もう自分は3.5フロッピーじゃないと耐えられない身体になってましたので)
「これで最新の重厚なゲームが出来る!」となった訳ですが、当然『栄冠は君に』もやりたい。そしてタイミングの良い事に、ゲーム内で1年間のプレイしか出来なかった初代から進化した『栄冠は君に2』が発売になっている。
導入したPC-9801EX2で最初にやったゲームは…たぶん『プリンセスメーカー』ですがw(これも書きたい事が大いにあるけど、今回はパス)、ほどなく『栄冠は君に2』を買ってきて、長い監督生活が始まったのです。

まずは高校選び。当時47都道府県で予選に参加した高校全てが入っているんですが、ここは当然…母校を選びます。
一応、各高校の名前は一文字入れ替えとかで実在する高校名とは違う仕様になっているんですが、高校名はエディット可能なので…もちろん母校の正式な名前に戻しますw。
しかも、自分が担当する高校以外の名前もエディット出来るようになっているので、やろうと思えば全国4000校ほどの全ての高校名を実在にする事も可能ですが、自分はそこまではやりませんでした(やった人もいるそうな)。まあ一文字入れ替えとかですから、元ネタの高校は分かりますしね。
そして、自分が最初に担当する部員の名前をエディット出来るんですが、実は部員の名前をエディット出来るのはここだけなんですよね。代替わりで入ってくる新入部員の名前エディットは出来ません。初年度はハッキリ言うと弱いので、エディット出来てもあまり意味は無かったんじゃないかと…。まあ、名前はエディット出来ない方がリアルでいいです。

高校の強さのデータは、その時の最新の地区予選データが反映されています。ウチの母校は、その時は地区予選でベスト8でした。だもんで、高校のレベルとしては悪くないとこからの出発です。(この当時は県内では強豪の一つだったんだけどね…。最近は常に1回戦負け、今年も波佐見相手に1回戦負けでした)
ゲームの基本としては、練習で体力を上げ、守備練習、打撃練習、走塁練習、投球練習でスキルを磨き、練習試合で能力と自信を身につけ、万全の状態で地区予選に挑む…という流れ。数値とのにらみ合いなんですが、その数値の上げ下げがたまらなく面白いのです。
まず、数値の中で一番大事なのは体力です。試合をやると消耗していく数値なので、これをMAX(240)までもっていくのは大基本。よって、1年生から2年生にかけて、みっちりと体力を作っていくことになります。
ちなみに、監督就任1年目は確か地区予選3回戦あたりで強豪に負けたんですが、これはスタートメンバーが体力が無さ過ぎての力負け。ここで痛い目にあって、「ああ、体力無いと全国なんか無理だなあ…」と悟らせる意味があるんだと思います(なのに好きな名前つけられるというw)。
体力があって初めて、打撃守備走塁投球の各練習も存分にやれるし、練習試合で経験を積ませる事が出来る。とにかく体力がMAX近くまで上がってから、おもむろに個人にあった練習を組んでいました。

4月に大挙やってくる新入部員の中で、筋力が強い子に投手をやらせるのも大事なこと。
1回登板すると結構体力が減るので、全国制覇まで見据えると投手は1学年に必ず二人必要です。投手抜擢する時に「エースはこいつ、準エースはこいつだな」と見極めるのも楽しいです。
また甲子園常連レベルになると、翌年の事を考えておかないといけませんから、3年生の投手二人と、経験を積ませる為に2年生のエースの方を必ずベンチ入りさせてましたね。で、余裕のある時に経験登板させておく。それが翌年の強さに繋がる。こういう連鎖は楽しいです。
投手なのに打撃が良い子も時々いるんですが(筋力あるからね)、だからといって日ハムの大谷みたいな使い方をすると体力が減り続けるので、投手をクリーンナップに据えるのは避けてました。この辺はもう少し融通が利くと良かったなあ。
打撃は、能力をMAXにしてもパカスカ本塁打を打つような事はありません。あくまで高校野球的な打撃の良さです。数値よりも経験と資質がモノを言う気はしてました。
走塁はMAX240が基本かな。自然とそうなるもんです。守備はMAXにしておいても、ごくたまに失策します。それが野球ですから。

数年に一度くらいの割合で、天才が入部してくる事があります。天才は各数値の伸びが速く、2年生の段階で使える戦力になっていて、次年度も主役となれる逸材です。
天才が入部してくる確率は、その高校のレベルと実績で上がるそうですけど、毎年必ず入部してくる訳でもありません。しかも見た目は他の部員と変わりません。
この天才を4月の練習初日に見極める方法がありました。天才は、伸びが速くて疲れにくい。これを利用して、新入部員が入ってきたらまず上級生も含めて全員で守備練習をします(全員でやるのは、ただの気分w)。
守備練習をやると、通常は体力が2減るのですが、天才は1しか減ってないんです。これで簡単に見極める事が出来ました(ちなみに3減る子は凡才なんですが、ウチにはほとんど入ってこなかったですね)。
天才を見極めたら、基本的には野手にしてました。投手だと伸びまくった打撃センスがもったいないしね。
でも、毎年のように甲子園で優勝するレベルまでいっても、そう簡単には入ってきませんでしたよ。ゲームバランスですね。

あと、練習試合は絶対に負けちゃダメなんですw。いろいろ数値に響きますから、とにかく必ず勝てるところとやる。
県内の弱小高校とあからさまな練習試合を組むのは多少良心が咎めましたがw、まあウチが全国制覇するための生贄みたいなもんだ(酷い)。
それと、練習試合も地区予選も出来る限りコールドで勝つのが重要。体力の消耗を出来る限り食い止める。決勝以外は5回コールドで勝つつもりで。
…それでも地区予選から甲子園までの期間では、体力はMAXに戻せないんですけどね。まあそれでも消耗を防いで、コールド無しの甲子園に挑むのです。

試合については、このゲームをやり込んだ人なら誰でも知っている点の取り方があります。
無死か一死で、1塁3塁か満塁の状況さえ作れればOK。あとはスクイズを指示すると必ずフィルダースチョイスになってオールセーフとなるので、無限に点が取れます。
これがバグなのか、はたまたゲームの進行上…意図的に組み込まれたものなのかは不明です。無限とはいっても、その状況を作れずに試合がもつれる事もあるし、たまにスクイズ外されることもあるし。
ちなみに自分は5点くらい取ったら、あとは普通に試合してました。2年生に経験を積ませたい時には多めに取る事もありましたけど。
それで負けたら、そこまでという事です。次年度へ切り替えていかないとね。

甲子園で優勝するか、その途上のどこかで負けた時点で3年生が卒業。「監督、ありがとうございました!」
そして新入部員が入ってくる。「監督、よろしくお願いします!」
延々とこの繰り返しで、スゴいイベントがあったりもしないゲームなんですけど、こういう終わりの無いゲームが大好きな自分にはたまらなかったですね。どんだけやったことか。
部員が練習してる時に、たまに女生徒が見守ってたりするのも雰囲気あったねえw。小粋な演出。
明徳の馬淵、星稜の山下、智弁和歌山の高嶋などなど、高校野球の名監督というのは少なからずこういう部員の代替わりを楽しんでいるんだろうなあ…と納得させられるゲームでした。
ちなみに『栄冠は君に3』は、部員のデータがマスク化されてしまったという事で、全くやる気が起きませんでした。『2』の楽しさ全否定かよ。
あと、PS2で出たヤツもやりました。ただ、試合画面が豪華過ぎるのもどうかな…という感じで、それほどやり込まずに終わりました。やっぱパソコンの画面で、マウスやキーボード使ってチマチマやってる方が雰囲気がある。
近年は続編も全く出てないようですが、コンセプトはいつの時代でも楽しいと思うんで、また出してほしいんですけどね。3DSあたりで出てくれるとベストかな。

ウチの母校が甲子園に行く事は残念ながらもう無いと思うんで、ゲームの中で甲子園常連にしてあげたいものです。
頼むよ、アートディング。あの頃のノリで、ぜひ。
2015/08/12 Wed. 06:06 | trackback: 0 | comment: 0edit

『バルーンファイト』の思い出と、岩田社長の訃報 

ファミコンが登場した時、自分は中学生でした。
それまではしこたま外で遊び、トランプやボードゲームや流行りアイテムやLSIゲームなんかでも一喜一憂していた田舎者の自分に、"TVゲーム"というものが身近になったのが…1983年でしたね。
とはいえ、ウチの親はファミコンなんぞ絶対に買ってくれないタイプなもんで、中学高校通してファミコンは友達の家でやるモノ。なんせ、ドラクエの1と2は全て友達の家に通ってエンディングまで見たんですからw。セーブと違って"ふっかつのじゅもん"というのは便利なシステムですよ。まあ極端な例ですけどね。
日頃は、せっかく友達の家でワイワイ遊ぶんですから、ワイワイと楽しめるソフトが自然と支持されていくことになります。

あの頃、友達の家でワイワイ遊んで楽しかったソフトを3本挙げろと言われたら…

【マリオブラザーズ】
燃える殺し合い、POW使用に関する紳士協定(スタート直後に3回叩いて消滅させてから心ゆくまで戦う)、あえてカニをピンクにする、ファイアボールの恐怖、コインに目が眩んで死ぬ、ブランコから降りれない状況、ボーナスステージ奪い合い、あえてフリーズさせる、相手の着地点に入って下からトスして殺す…といった殺伐とした技術の磨き合いがたまらんかった。

【アイスクライマー】
一見対戦に見えないが実は殺る気マンマン、砕け!、落とせ!、置いていけ!、ミスなくスムーズな移動をしろ、ジャンプして乗り損ねるのは言語道断…というストイックなゲーム性が、結構やみつきなんですよね。可愛いキャラクターだったのにw。

そして3本目は…【バルーンファイト】。初めて遊んだ時の衝撃は今でも覚えてますねえ…。
「こい、ホントに面白かばい!」と言われて、おもむろに対戦モードでゲームスタート。
最初は何をしたらいいか分からないですから、おっかなびっくりボタンを押すと…浮く。操作すると…おおおお!スムーズに動くし、慣性がかかって方向転換が難しい。しかし、これは楽しいぞ。
そうこうしてる間に友達が自分の風船を割る。落ちる。そうか、そういうことか、分かればコッチのもんだ。お前の風船を割ってやるぜ!
ものの数分でルールを理解し、徐々に飛行にも慣れて、面のレイアウトを上手く使えるようになってきた。
よし、水面近くを飛んで向こう側に出よう…と下降して水面に近づいた刹那、飛び出してきたサメにガップリ喰われてゲームオーバー。一瞬ビビった後、喰われた自分が真っ先に爆笑し、その場にいた全員笑いの渦。これは、楽しい!
あえて低空戦に持ち込んでサメに喰わせる戦術とか、風船を割られにくいポジションでのホバリングと、それを追い出す為の千日戦争とか、紳士協定による風船1コ対戦とか、このゲームもいろんな工夫が出来て飽きなかったですねえ。
以降、『マリオブラザーズ』と並ぶ対戦ゲームの雄として、徐々に出てきていた"重いゲーム"に飽きたら、即カセット入れ替えてワイワイ遊んでました。
そういう遊び方だったもんで、『マリオブラザーズ』と『バルーンファイト』は一人で遊んでもつまらないですねえw。
大人になってから、中古でツインファミコンを買ったり、改めてニューファミコンを買ったりして、もちろん両方ともソフト持ってるんですけど、やっぱり相手が欲しいです(力量が互角な相手ね)。

任天堂の岩田社長の訃報に接して、「自分が岩田さんのソフトで一番遊んだのは何だろう?」と考えた挙げ句…、「やはりバルーンファイトだろうなあ」と思ったので古いことを書いてみました。『ピンボール』や『ゴルフ』も相当やってはいるんですけどね(友達の家で)。
その後は自分がセガ派に邁進したこともあって、SFCやN64、GC、Wiiはほとんど触ってないんですよ(嫌ってはいなかったけど)。GBAとDS、3DSは買いましたけど。
そういう自分が岩田社長の事をあれこれ語る資格は無いんですが、『バルーンファイト』の楽しさは岩田社長の求めるゲーム…そのものだと思います。
あの山内組長から直々の指名で40才過ぎに社長就任。生み出したハードとソフトが素晴らしいことはもちろんですが、あのニンテンドーダイレクトにおける進行役は…アフィブログへの対抗措置から生まれたとは思えないほど輝いていました。社長自ら「直接!」近日発売ソフトと今後の予定を紹介してくれるなんて、なんと幸せな時間だったのでしょう。

社長でありながら、頭の中は開発者であり、心はゲーマーである。
そんな稀代の快人物が突然この世からいなくなってしまったのは、もう…言葉が無い。何も言えない。
朝ふと目が覚めて、「目覚ましまで3時間ある…もう少し寝ないとなあ…」と枕元のスマホでツイッターのトレンドを見たら、"岩田社長"とあったので「ああ、ニンダイがまたあったんだな…」と確認し…、そのまま硬直して一気に目が覚めるほどの衝撃でした。そのままツイッターを見続け、職場からも休憩時間に見続け、帰宅しながらも見続けました。もう他に何も考えられなかったんだもん。
大して任天堂と接点がある訳でもないのに…こうも衝撃を受けるとは自分でも意外で、「ああ、俺は岩田社長のファンだったんだなあ…」と今更気づきました。
もうちょっと早く気づけば良かったんだが…。

今頃は、山内組長に「来るのが早い!」と怒られているんではないかと思いますが、逝ってしまわれたのは事実ですからね。後継者を決めるような年齢でもなかったし、容態急変ということなんで…そんな余裕も無かったでしょう。
しばらくは宮本さんをはじめとするレジェンドが任天堂を牽引するようですけど、岩田社長の目指した"ワイワイ遊べるゲーム"を昇華した形で見せてくれる新しい人材に期待したいところです。

この動画を貼っときますわ。岩田社長の人柄が存分に出ていて、扱ってるゲームも『バルーンファイト』だし。

『ゲームセンターCX・社長が課長に聞く』 by ニコニコ動画

物腰の柔らかい、80年代のスタープログラマー。何より…ゲームが好きなんだなあというのが伝わってきます。
ゲーム、作らせてあげたかったですねえ…。

岩田社長の作ったゲームでワイワイ遊べたのは幸せなことでした。今日改めてそう思いました。
楽しかったです、有難うございました。
2015/07/14 Tue. 05:30 | trackback: 0 | comment: 0edit

『マイコンBASICマガジン』、ベーマガの復活 

「パソコンって、何するモノなの?」
80年代にはこういう質問が多かったですねえ…。それはウチの両親や姉にとどまらず、友達やクラスの女子、果ては教師からも聞かれたことがあります。
この質問に対する答えは…非常に難しいものでした。内心は(そりゃまあゲームやるのが一番多いよね~)と思ってても、ちょっとカッコつけたい年頃でもあるんで素直にはなれません。
今ならおそらく「インターネット」と答えとけば万事が解決するんでしょうけど、あの頃のパソコンというのは…何でも出来て、何も出来ない、そういう箱でした。
だもんで、ほとんどの場合…こう答えることになります。
「プログラミング! プログラミングやってるの」

(ここから転載)

青少年向け技術ホビー誌「電子工作マガジン」(電波新聞社)の2015年春号(3月19日発売、税別1200円)にて、往年のプログラミング雑誌「マイコンBASICマガジン」のコーナーが登場することが明らかになった。

電波新聞社の「@opaimar」さんがTwitterで誌面の画像を紹介した。

ベーマガのロゴをあしらったコーナーで、BASICプログラミング専用の子ども向けコンピュータ「IchigoJam」を扱っている。
初回はプログラムの作例を1つ紹介し、投稿プログラムを募集するという。
「誰かがプログラムを投稿し読者が入力したり書いてみるあの時代がまたやってくるかもしれません」。

IchigoJamは、jig.jp社長の福野泰介さんが開発した子ども向けコンピュータ。
福野さんはブログで今回の“ベーマガ復活”に触れ、
「日本中のこどもにとっての、プログラミング+電子工作、IoTの世界で遊ぶきっかけになってくれれば」とコメントしている。

(転載ここまで)


ちょっと古い話題で申し訳ないんですけど、いずれ触れるだろうと塩漬けにしていたものです。
『マイコンBASICマガジン』、通称ベーマガですかあ…。あの当時のパソコン少年は、まずベーマガから入る子が多かったですね。
なにせ、雑誌のページ数の7割か8割にプログラムのダンプリストが延々載ってるんですよ。まともにプログラムを勉強しようとする子にも、とりあえず興味があるリストを打ち込みたい子にも需要のある雑誌でした。
それに、扱われている機種がべらぼうに多いのも特徴でした。
当時のパソコン機種というと、まずNECが…6000&6600系、8000系、8800系、9800系、あとマイナーだけど100系。
富士通が…FM-8、FM-7,77,77AV、FM-11、FM-16β。
シャープが…MZシリーズ(80,700,1500,2000,2200,2500など)、X1シリーズ(C,D,F,G,ターボ)。
この3大メジャーとは別にユーザーを獲得していたMSXシリーズ。
そして好事家しか買わないだろうwマイナー機種としては、…東芝のPASOPIA7、日立のS1、ソニーのSMC-777、ナショナルのJR100,200,800、IBMの5550、コモドール64、バンダイのRX-78、トミーのぴゅう太、カシオのFP-1100…あたりでしたかねえ。
他社から出ている雑誌では、NEC富士通シャープの3大メジャーの機種しか扱っていない事が多く、『I/O』や『月刊マイコン』みたいな分厚い系雑誌にはマイナー機種も載ってはいるものの、ダンプリスト自体が数ページにわたっていて気軽に打ち込めないケースが多かったんです。
それが、ベーマガなら気軽で楽しそうなプログラムがどんな機種でも載ってるもんですから、「ビギナーはまずベーマガから」という流れが自然と出来ていきました。
ベーマガの表紙には"52機種のパソコン用ソフト66本を一挙掲載"などという煽り文句が必ず載っていましたし、多機種のプログラムを扱っていること自体が売りだと分かっていたのでしょう。
ベーマガでプログラムを勉強した子が、自分の作ったプログラムをベーマガに投稿するようになる。80年代はそういうのが成立していました。

…とか書いてはいますが、自分はベーマガはあまり買ってませんw。あれは友達の家で読むか立ち読みするものでした。
自分は…『POPCOM』『コンプティーク』『Login』などのゲーム主体系と、『Oh!FM』『I/O』などの実用系を愛読してました。
プログラムという観点で言えば、愛機FM-77D2をいかに使い易くしていけるか…なんてプログラムは『Oh!FM』の独壇場でしたし、膨大な量のダンプリストで豪華なゲームを…というのは『I/O』でした。ちょっと専門的な事をやろうとすると、広く浅いベーマガでは物足りなくなるんです。何十本もプログラムリストが載ってても、ウチのパソコンで使えるのは3本あればいい方でしたし。
だから正直、ベーマガの企画や誌面には思い入れは無いですね。

でも、ベーマガが果たした役割はデカいですよ。
プログラムリストを打ち込んでそれを動作させる楽しさを、自分らパソコン少年に広めたのはベーマガです。一番分かりやすい"パソコンの楽しさ"ですよね。
90年代に入るとパソコンの性能が一気に上昇して、それを使いこなすBASICプログラムというのが雑誌にほぼ載らなくなりましたし、あったところでチマチマ入力する子はほとんどいなくなりました。
自分もパソコンでは完全にゲーム専門となりました。…セガサターンで、キーボードなどが同梱された『BASIC for セガサターン』が発売された時は「…欲しい」と思いましたけどw、さすがに思いとどまりました。ゲーセンでバーチャに燃え、セガサターンでいろいろ遊ぶのに忙しい中、これを買ってチマチマとプログラムを作るとは思えなかったので。
そんな御時世でもベーマガはプログラム掲載主義を貫き、2003年に休刊するまで…80年代を保持した雑誌であり続けました。本屋で見かけてはパラパラめくって「ベーマガはスゴいなあ…」と思っていたものです。

今回、こういう形で復活するのは嬉しい反面、どう考えてもニッチな趣味だよなあw…と思います。プログラムリストを投稿する文化の復活は…まあ無いよね。
でも、ごく一部でもこういう文化が残って続くんであれば応援したいですね。特に若い子に。
…自分はもう、プログラムを考えたり打ち込んだりするのは無理ですw。このブログ書いてる時みたいに寝落ちするのがオチですわ。
2015/07/09 Thu. 11:31 | trackback: 0 | comment: 0edit

『銀河英雄伝説』が、またゲーム化 

『艦これ』が有名になったDMMから、銀河英雄伝説のソーシャルゲームが出ると聞いた時は、「おいおいおいおい、本当にきちゃったかあ…」と溜め息が出ましたw。
当初はスマホを対象にした課金ゲームかと思っていたもので、「うわぁ、無課金でやったらエル・ファシル独立政府くらいの戦力しか無いんだろうなあ。それかカストロプ動乱か」とか想像してましてね。
あるいは、戦力や人材はそれなりだけど無粋な横槍が入るシステムで、課金しないと回避出来ないとかね。帝国ならブラウンシュヴァイク公、同盟なら我らがトリューニヒト議長がその役割。
会戦に出す提督も、課金しないと貴族のバカ息子達やアスターテ全滅組ばかりで、ラインハルトやヤンなんて微塵も拝めないんだろうなあ…。
そんな感じでいろいろ勝手に妄想して、「うーん、スマホでゲームはしない主義なんだが…、これは主義を変えないといけないのかなあ…」と困っていたら、幸か不幸かスマホ向けではなくPC用ブラウザゲームと判明して一安心w。金と時間が消える恐れは無くなりました。

しかし、どんなシステムに仕上げるつもりなんかね。
銀英伝のゲームというと、まずはMS-DOS時代のPC98で楽しんだ『銀河英雄伝説』(ボーステック)ですねえ。自分がやったのは2か3だったと思います。
完全な戦術級SLGで、提督の能力値はもちろん違い(光栄式の数値パラメーター)、提督によって戦艦や高速戦艦、航空母艦、工作艦などの編成も違っておりました(変更は可能だったと思う)。
画面上は、提督が指揮する一個艦隊ごとに編成を表す四角形が連なって、それを移動させて会敵させる流れでした。余談ですが、『涼宮ハルヒ』の原作で"射手座の日"を読んだ時に「これ、ボーステックの銀英伝に似てるなあ」と思いましたw。
今思えば難易度の高い無骨なゲームではあったんですが(特に同盟プレイはキツかった)、ゲームってのは単調な画面にいかに思い入れを載せるかが肝ですから、あれはあれで面白かったですねえ。グラフィックが美麗じゃないとすぐクソゲー呼ばわりするPS系のバカお子ちゃまには分かんないだろうねえ。

その少し前、なんとファミコンでも『銀河英雄伝説』のゲームが出てました。部屋のどこかにまだカセットがあると思うんだけど、メーカーは忘れちゃったなw。形式はSLGなんだけど、戦略を少し交えた戦術級ですね。
プレイヤーは帝国軍を指揮。同盟との戦いを勝ち抜いていくんだけど、戦う前にはちゃんと補給やら艦隊編成や陣形なんかも考えなきゃいけない。まあ、ちゃんと準備すれば力押しは出来ますw。
で、勝ち進むとだんだん同盟側の提督の格が上がっていき、最後のハイネセンでついにヤン艦隊が登場。これがねえ…こっちが動員出来る最大戦力で戦っても、あまりの強さに戦慄するんですよw。軍事活動上の芸術の時とか、回廊の戦いでのヤン艦隊みたいなもんです。
まあゲームですから最終的には勝ったんですけど、物凄い疲労感ありましたねえ。
ただ、疲労感の大半は…セーブが無いため数時間ぶっ続けでやらざるを得ない(あるいは電源切らずに寝る)事と、その間ずっとファミコン音源の"ボレロ"を聴かされている事に起因するんじゃないかと思いますw。

あとセガサターンで出た『銀河英雄伝説』も買ってプレイしたんですが…。
同盟でのプレイ。原作の流れに沿って進行するんですが、このゲームは選択式なもんで、上手く立ち回ってアムリッツァでの人材損失を回避したんですね(*^^)。「やったー! ウランフその他の貴重な提督を死なせずに済んだぞ!」と喜んでたら、…例の"救国軍事会議"のクーデターが起きた時に、何故かウランフその他の貴重な提督がそっちに加わって…結局、元の木阿弥orz。
「そんならアムリッツァ回避とかさせんなよゴラァ!」と頭に来て、途中で投げてしまいましたw。…いずれ、気が向いたら再チャレンジするやもしれません。
PSで出た方とか、ちびキャラ銀英伝のヤツとかはやってません。

今度のDMMのPCブラウザゲーム、こんなゲームになったら神なんですけどねえ。

艦これ銀英伝(ラインハルト編) by ニコニコ動画


艦これ銀英伝(ヤン編) by ニコニコ動画

この艦これ動画、何回見ても飽きませんわ。よくキャラクターに合っているし、何より幸せな銀河声優伝説っぷり。津嘉山さんの「チェックメイト」に痺れましょう。
ここまで『艦これ』そのままではないにせよ、基本的には近いんじゃないですかね。ただ、陣営で分けると帝国の陣容が分厚過ぎるんですけどもw。
あと、エトワール☆さんも嘆いてましたが、事前登録するとラインハルトかヤンのどちらかが貰えるっていうのは太っ腹過ぎやしないかいw。銀英伝というだけで固定客は喰いつくんだし、フレーゲル男爵かオリベイラが貰えるでいいんじゃないの?
まあ、あたしゃあ門外漢でございますから眺めるだけですけどね。

このDMM版が軌道に乗ったら、ニンテンドー3DSあたりで銀英伝ゲームを一つ出してもらいたいですねえ。
フェザーン自治領主になって、帝国と同盟を裏から操り共食いさせて疲弊させていくゲームとかやりたいですねえ。もっとシンプルに『シム地球教』みたいなのでも良い。キャゼルヌになってヤン一党の事務を切り盛りとか、ケスラーの憲兵隊ゲームとか、いろんな切り口でゲーム出来ると思うんだけどねえ。
ま、そんなアイデア一発勝負な企画が具現化していた幸せな時代はとっくの昔に終わって、家庭用ゲーム自体が滅亡の坂道を転がり落ちてますから無理でしょうけどね。

田中芳樹にやり手の担当秘書がついて以降、妙にいろいろ仕掛けてきているんですけど(Blu-rayもだいぶ安くなったし)、今回のゲームはその戦略の中枢なんじゃないですかね。
さて、どうなりますやら。期待して見守ろうと思います。
2014/10/21 Tue. 04:35 | trackback: 0 | comment: 2edit

『大戦略FM』(FM-77ディスク版) 

今回は、ちょっと長い前置きから書きますね。
80年代の8ビットPCの時代は、意外とシミュレーションゲーム(SLG)が幅を利かせてました。ヒット作も多数出ましたねえ。
なにせ、CPUの処理速度もアレだったし、RAMも16KBあれば御の字、グラフィックなんて呼ぶのもおこがましい…ただの色付き線画という時代ですから。
あの頃のパソコン(あるいはマイコン。中にはパーコンという呼び方にこだわってる方もいましたw)なんてのは、素人がBASICなんぞでプログラムが出来る代わりに、価格に比べてのポテンシャル(演算にしろ、表示にしろ)は無い。よってアクションゲームを作るのは一苦労、そっちに特化したファミコンの足許にも及ばないものでした。それでもマシン語を使いこなせば割とグリグリ動くのですが、そんな人はあの当時でもそんなにいなかったです。直接脳内逆アセンブルをやる人なんか都市伝説レベルですよw。
反面、静止画だと素人でもそれなりの絵が描けたりするので(640×200以上の話だけどね)、それを活かして発展したのがアドベンチャーゲーム(AVG)とSLG。

AVGは楽しい反面、コマンド入力方式で四苦八苦させられていました。もう"言葉探し"をするゲーム。
友達の家でMSXの『黄金の墓』をやっていた時、占い師の老婆の前に置いてある小さな刃物を取りたいのに…、「カタナ トル」でダメ、「ナイフ トル」でダメ、「ソード」「コガタナ」「タチ」「コダチ」「レイピア」「ハモノ」「カッター」「ワキザシ」など、その場にいる数人が刃物系の言葉をひねり出すもダメ。数十分悩んだ挙げ句に、ようやく…「ツルギ トル」と入力したら、一気にグラフィックが描き変わって占い老婆が刺されまして。もう全員嬉しいけど疲労困憊w。そんなゲームでした。
それが、かの『ポートピア連続殺人事件』で示された画期的なコマンド選択方式によって飛躍的に遊びやすくなり、『J.B.ハロルドシリーズ』などで繁栄を迎えたものの、画期的故にそれ以上の発展が無くなり、最終的には総当たりでエンディングにたどり着くという見方をされるようになって、急速に新作リリースが減り、衰退しました。
ただ、このコマンド選択で画像を見せていく形は18禁ゲームの基本として受け継がれ、『天使達の午後』からエルフからリーフから、幾多の名作を産み出す事になりました。エロゲ万歳w。

SLGがパソコン草創期からよく作られていたのは、もちろんしょぼいグラフィックでも分かり易いのがデカいんでしょうけど、ボードシミュレーションゲームや軍人将棋などを一人で遊びたい欲求というのも大きかったんだろうと思います。パソコンはそういうのに向いている訳だし。
あと、パソコンゲーム製作者がそういう趣味だったという要素は絶対にあるでしょうねw。パソコンゲームが市販されだした1982年頃から、『川中島の合戦』(光栄)、『珊瑚海海戦』(システムソフト)、『ノルマンディー上陸作戦』(光栄)なんてソフトがすでに作られてましたんで。
その後、『空母機動部隊』(木屋通商)、『激戦!南太平洋』(エニックス)、『ミッドウェー海戦』(PONYCA)、『連合艦隊の栄光』(CSK)…など、コンスタントにWW2戦略戦術系SLGが発売されてます。おそらくは、こういうソフトは売れ行きが堅調だったんでしょう。木屋通商というソフト会社は、これ系を何本も出してましたね。
そんで1985年。システムソフトから発売されたのが『現代大戦略』。1983年の『信長の野望』(光栄)と並ぶ、今に至るSLGの大看板です。
(余談ですが、現在この手のウォーシミュレーションゲームがほとんど発売されなくなった渇望と反動が、『艦これ』のブームになったのではないかと思っています)

『現代大戦略』は、それまでに発売されたウォーSLGとは一線を画していました。戦術に特化(生産の要素はあるけどね)し、ヘックス上の部隊を動かして勝利を目指す。
ヘックスを使ったゲームフィールドは、まさしくボードシミュレーションゲームの画面内再現。一人なのに四ヶ国での対戦が出来るという画期的ゲーム。
ゲームのシステム原型は、かの森田和郎氏の『森田のバトルフィールド』に影響を受けたのでしょうが、整ったグラフィックと分かり易いシステム、そして何度も遊べる中毒性で一躍ヒット作に。全国に司令官や師団長が大量発生します。
自分としては、「面白そうなゲームやのう」とは思いつつ、PC98用という事で「アレは98という別世界のゲーム!」と自分に言い聞かせて過ごしていました。しかし、『大戦略88』『大戦略X1』と内容を一部簡略化した8ビット用も順次発売されていきます…。ちきしょう…。
ついには、進化を遂げた『大戦略2』が発売され、パソコン雑誌のページを賑わす始末。遠距離攻撃ユニットだあ? なんだこの北海道樺太マップは? 楽しそうじゃねえかorz。
大戦略には縁が無いかもなあ…と思っていた1987年末、ついに、ようやく、やっとこさ『大戦略FM』が発売。もちろんお年玉投入で即買いましたよ。『大戦略2』が話題を席巻する中の8ビット用発売ですが、世の中にはそれを待ちわびていた人間がいるんだ!

他の8ビット用大戦略と同じで、16種類のユニット、16のマップ(違ったかもしれん)、二ヶ国戦、そしてマップエディット機能。
戦闘アニメは表示するとかったるいんですが、表示しないと味気ない。裏技として、アニメ中にキーボードの任意のキーを押しっぱなしにすると、何故かアニメが早くなってテンポが上がるという謎仕様になってましたw。これはFMシリーズ独特のキーアーキテクチャが関係してるのかも。
COMの思考はまずまず速くてストレスは無いものの、時々アホなのはいかんともし難いw。まあ、現在でもウォーシミュレーションでCOMに隙が無いというのはあまり無いだろうし。
かなりやり込んだんで基本COMには圧勝してましたが、それはそれで気分が良かったものです。
あとは、アホなマップを作ってはCOMと遊ぶのも楽しかった。COMに花を持たせられるマップというのは難しいもんですよ。
今考えてもコストパフォーマンスの高い、しゃぶりつくせる優良ソフトでしたねえ。

その後、98入手後に『大戦略Ⅲ』をやって酷い事になる訳ですが(完全リアルタイムは恐ろしいw)、それはまたいずれ。
『大戦略FM』…かなり遊び込んだのに、これという面白エピソードに欠けるのでなかなか書けませんでしたが、前置きを長くする事でどうにか乗り切りましたw。
初めてのパソコン、FM-77D2で書きたいネタも次あたりで最後かな。2台目のパソコンは…FM-77AV40EXなので、まだまだFMシリーズの悲哀ネタは続きますが…。
2014/07/20 Sun. 05:11 | trackback: 0 | comment: 0edit

スタープログラマー、森田和郎の功績 

ちょっと前に、将棋の電王戦は見る価値無し…という事を書きました。
その気持ちには特に変化は無いし、電王戦にソフトを出していた製作者の態度が、棋士への配慮もリスペクトも薄いと思わされるものだったのもなんか嫌でした。
あとは、ソフト同士で切磋琢磨して強くなればいいじゃん…と完全に突き放しています。
………そんな自分でも、この方の訃報は驚いたし、襟を正す気分であります。

(ここから転載)
 
コンピュータ将棋のパイオニア・森田和郎さんが2012年7月27日に亡くなっていたことが、週刊将棋6月5日号と将棋世界7月号で報じられています。
将棋世界7月号では、瀧澤武信さん、小谷善行さん、柿木義一さんによる追悼座談会を行い、森田さんの思い出を語っています。

晩年は体調を崩され、歩行が困難になっていました。
さらには歩行中に転倒して腕を骨折されるなど、まさに満身創痍の状態。それでも、いささかも気力が衰えることなく、片手でキーボードを叩き、精力的にプログラム制作に励んでいらっしゃいました。

会社経営者という立場でありながらも、生涯一プログラマーとして、よりよいプログラムを作っていくことにひたすら力を傾けていらっしゃいました。
「コンピュータ将棋の父」といえる森田さんは、このたびの電王戦でのコンピュータ将棋の晴れ舞台を、天からどのようにご覧になっていたのでしょうか。

(転載ここまで)


80年代にパソコンゲームを楽しんでいた者にとって、森田和郎という名前は絶大な知名度がありました。いわゆるスタープログラマー、それも日本初の。
あの当時のパソコンは、RAMなんて32KBもあればいい方で、16KBや8KBの機種もさして珍しくない状況。CPUも非力でした。ベストセラーといわれるPC-8001にしても同様。やたら丈夫ではあったけどw。
そんな黎明期のパソコンで、「すげえ!」というプログラミングを見せたのが森田和郎。
しっかりした思考の本格オセロ『森田オセロ』を皮切りに、ウォーシミュレーションの名作『森田のバトルフィールド』(後の『大戦略』に多大な影響を与えた)を大ヒットさせました。
そして"ゼビウスをパソコンで再現"する事を意識して作った『アルフォス』。パレットの色指定を駆使しての地上物と空中物の重ね合わせと、度肝を抜く高速スクロール。ナムコのお墨付きをもらうほどの出来映えでした。他にも『リグラス』とかあったね。
同時期に切磋琢磨していたスタープログラマーの芸無狂人、中村光一、あとプロデュースだったけど堀井雄二など、個人の才覚で一気に有名になった方々が出てきた時代でした。

その後、ゲーム製作会社ランダムハウスを立ち上げ、下請けも含めて良作を残されてます。
ファミコンのやり込みソフト『ミネルバトンサーガ』『ジャストブリード』、森田さんが作ったという範疇ではないけど、サムライスピリッツ中興として評価の高い『サムライスピリッツ零』、通信対戦麻雀の『登龍門』、あと『アルカナハート』とかも。

そして、生涯を捧げたと言っても過言ではない『森田将棋』。
80年代に雑誌上で行われていたパソコン用将棋ソフトの大会では、常に優勝か上位を占める強さと安定感がありました。その後もいろんなゲーム機に『森田将棋』は登場、常に高い評価を得ています。
将棋のアマ五段という実力と、卓越したプログラミング能力。この二つを兼ね備えていた森田和郎という存在こそが、コンピューター将棋の黎明にして基礎であり、その後の発展も含めて巨大な影響を与えた訳です。
恐ろしく頭の良い方が、若干変質的なまでにプログラマーに拘り、人生をかけて取り組んだ一大サーガと言っていいと思います。
その森田氏が、先の電王戦を見ずに亡くなっていたというのは、無念だったのか、それともGPS将棋みたいな人海戦術思考が三浦九段を倒す醜悪さ(申し訳ないが自分は醜悪だと思いました)を見なくて良かったのか、それは分かりません。

日本のゲームと、そしてコンピューター将棋。森田和郎が遺した功績は甚大で、彼の存在が時代を早めたとも言えます。
晩年はその職人的気質が生きる時代ではなくなっていましたが(中村光一にしたって、中村光一がソフトを出してるという印象は無いしねえ)、生涯一プログラマーとして人生を貫いたのには敬服せざるを得ません。
パソコンゲーマーだった者として、楽しい時間を有難うございました。
2013/06/04 Tue. 04:32 | trackback: 0 | comment: 0edit

『プロフェッショナル麻雀』(シャノアール) 

麻雀を覚えたのは、中学生の頃でした。
ハッキリ覚えているのは、床屋の待合い時間に読んでた…月刊マガジンだか別冊マガジンだかに『片山まさゆきの麻雀教室』という漫画があって、なんとなく惹きつけられたんです。
で、その後、それが単行本になっているのを発見し、「あー、あの時の漫画だ」と手に取って、そのまま購入。
この出会いが無ければ、麻雀とはまだまだ無縁、ひょっとしたら全くやる事無く人生を送ったかもしれない。
そうすると、高校時代に『ぎゅわんぶらあ自己中心派』のあまりの面白さに爆笑したり、『哭きの竜』のイッちゃった世界観を楽しんだり、高校3年の夏休みの読書感想文を『麻雀放浪記』(阿佐田哲也)で書き上げて、現国の教師から「あの小説は確かに名作だが、高校生が読書感想文に使っていい題材じゃないだろう」と苦笑されたりする事も…無かったんだろうね。
麻雀を知らずに、人生を楽しむ事は出来なかったでしょう。

中学時代は、友達の家で実際に牌を並べて、覚えたてのルールを再確認していくのが主で、闘牌などというレベルではありませんでした。上手い人から教わるのと違って、初心者が何人集まっても烏合の衆もいいとこです。
ただ、その頃からポツポツ出てきていたのが麻雀ゲーム。この存在は大きかった。実際に牌を並べなくても、麻雀らしきものが一応出来るのですからね。ただ、中学時代のウチにはゲームが出来るものが無かったのでw、これも出来るとこは限られてましたけど。
スタンダードだったのは発売間もないファミコンの『麻雀』。二人打ちで脱衣も無いものでしたがw、考え考えやってましたね。その後『四人打ち麻雀』が発売になって、「おお、麻雀っぽくなった」と喜んだ記憶があります。
パソコンの麻雀で覚えているのは、町内にソニー系の電器屋さんがあって、そこに"SMC-777C"というパソコンがデモっていたんです(このパソコンは当時ではなかなかの名機)。そこでよく四人打ち麻雀のソフトを長時間w立ちっぱなしでやってましたねえ。あの頃は店頭で遊ぶのも体力勝負でした。
そして高校入学時、酔った父親をだまくらかして買わせる事に成功したパソコン、富士通FM-77D2が家にやってきます。

まあ、あの頃のパソコンユーザーですから、それなりにBASICもやり、雑誌のダンプリストを長時間入力したりは当たり前にやってましたが、このブログでもたまに書いているように、ゲームも嗜む程度に熱中していましたw。で、『信長の野望(初代)』や『ザ・ブラックオニクス』なんぞやりながら思うのでした。

「そろそろ、麻雀のソフトが欲しいなあ…」

思ってから買うまで数ヶ月。高1の正月のお年玉を使って、一本のソフトを購入します。それが『プロフェッショナル麻雀』。
この『プロフェッショナル麻雀』、テンポが速くて思考もしっかりしていると当時のパソコン雑誌などの評価も高いものでした。だから買ってみた訳ですが、なるほど、速い。当時のスタンダードだった四列表示の四人打ちなんですが、あまりにもサクサクと進むのでストレス全く無し。前述のSMC-777Cの麻雀ソフトなど比べ物になりません。
思考や定跡もしっかりしているようで、全ての牌が見えるモードで見物しても、変な動きは無かったと思います。ただ、見たのはあの当時の自分ですからねw。
ちなみに、それまでテープ版のソフトばかり買っていた自分が、初めて買ったディスク版のソフトがこれでした。「麻雀みたいな即遊びたいものをダラダラとロードできるか!」と奮発したんですが、我ながらいい判断だったと思います。

このソフトで一番の思い出は、麻雀ソフトで遊んでて初めて役満をあがった事でしょうね。それも"九連宝燈"。
忘れもしない日曜の昼間、特に気負う事もなくサクサクと遊んでいたら、えらく豪華なマンズ一色手が出来てきて………ツモった…。これは、間違いなく、九連宝燈!! 一一一二三四伍六七八九九九九!!!
そして、しばらく「うほーい!」と家中を走り回った後(家にいたのは自分だけw)、リプレイを何回もやって役満の感動を味わっていましたw。

そうやって、ソフトで遊んだり漫画や小説を読んだりしながら磨いた麻雀力は、高校卒業後2年程で木っ端みじんにされましてねえ…。
あの、学校の寮に出入りして猛者を相手に毎夜ハコテンになり続けた日々は、文字通り楽しい地獄でしたが、あの期間に強い面子と打てた事で頭でっかちな麻雀をかなり修正してもらったと思ってます。その後、前の会社でたまに雀荘で麻雀してた時は、そこそこの打ち回しも出来るようになってましたから。
やっぱ、ソフトと漫画じゃ強くならんのよw。

『プロフェッショナル麻雀』で高評価を得たシャノアールは、光栄の『麻雀大会』の思考ルーチンを担当したり、SSとPSに『麻雀悟空・天竺』を出したり(持ってます)してたんですが、最近はとんとお名前を聞かなくなりました。ネット対戦が主流になって、培ってきた思考ルーチンの使い所が無くなってしまったのでしょうか。
かく言う自分も、『麻雀格闘倶楽部』を初代からずっとやり続けているので、COM相手の麻雀というのは久方やってません。
それでも、"麻雀ソフトといえばシャノアール"という世代なだけに、またどっかでお名前を聞きたいものです。
2013/05/23 Thu. 03:47 | trackback: 0 | comment: 3edit