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メテオ・ストライクス!

いろんな分野で独り言を日々書きます。稼働終了したセガのクイズゲーム『Answer×Answer』を振り返る事もあります。

離島の成人式 

自分の出身地は離島なんですが、成人の日が1月15日だった時代からずっと、成人式は毎年1月3日に行われていました。
これは、就職や進学で島外に出ている人が成人式に参加出来る日という意味がありまして、故に成人式の出席率はかなり高いんですよね。
現在は5つの町が合併してしまってますが、成人式に関してはおそらく旧町ごとの仕切りでやっていると思われます。一カ所に集まってやってたら田舎部の子は可哀想だし。

子供の頃は、成人式そのものは特に興味はありませんでしたが、着飾った新成人が会場(文化センター)からわらわら出てくる頃合いには、おばちゃん達が遠巻きに見物しつつ、「誰々さんとこの息子さん成人式やったんやね」「あの振り袖はダメ」「色が変!」みたいな大規模井戸端会議を繰り広げるというイメージでした。ウチの母親もちょくちょく見物に行ってたなあw。
あの当時(昭和50年代くらい)、子供の自分から見る新成人というのはまさに【大人】で、成人式というのも堅苦しい、おごそかなものだという認識でした。
5才年上の実姉が成人式に出席する時は、いろいろと騒々しい正月だった記憶があります。女性でございますから、晴れ着やら美容院やら前準備がいろいろと大変だったようで。
姉は…浮ついたとこの無い性格で、成人式に際しても振り袖ではなく青系の留め袖を選んで着ておりました。曰わく「振り袖は1回着たらもう着れないけど、留め袖なら年とっても着れる」とのこと。
弟ながら…(なんて可愛げの無い女だ)と思っていたことは、姉本人には絶対言えませんが、留め袖にしたって一生の間でまた着る可能性は低いぞ。まあいいけど。
その姉の成人式ではなかったんですが、…有名な事件がありまして。
成人式終了後、文化センターの玄関口階段に全員勢揃いして記念写真撮影をするんですけど、文化センターそばの写真屋さんが毎年その仕事を請け負っていたんです。
ある年、新成人をズラっと並べて、写真屋のおじさんが全員写るように列の微調整をし、晴れて撮影完了。一同解散となったんですが…。
カメラにフィルムが入ってなかったんです(笑)。おそらくラボで気が付いたんでしょうが、完全な後の祭りアフターフェスティバル。写真撮り直すからもう一回同じ服装で後日集合してって訳にはいかないですからね。その代の成人式写真は無し。
この一件、数日中には全町民の知るところとなりまして、翌年からこの仕事は隣町の写真屋さんが請け負うことに…。自分の代も撮ってもらいましたが、整列してる時に「フィルムちゃんと入っちょっとか?」とかあちこちで話してましたんで、やはりインパクトある事件だったんだなあ…。
1月3日という日程のせいかちょっと浮ついていて、お正月の行事の一つと捉えてました。

単なる傍観者でしかなかった自分が、いよいよ成人式に出席する年がやってきました。自分は【大人】という自覚など無いのだが…。
福岡で買ったジャケットっぽいスーツを着て帰ったら(まだバブルは弾けてなかった時代)、ちゃんと成人式用スーツは準備してありました。まあそっちで正解だったと思います。感謝。
高校卒業して2年、旧友とは一切連絡などしない子でしたので、帰ったからって特に誰とも会わず、格別準備も無いので親と花札やってのんびり過ごし、深夜ラジオ聞きながら寝るといういつものパターンでやってきた1月3日。
………危うく寝過ごすところでしたw。人生最後の、親に叩き起こされた朝でしたね。
朝食さらっと食べて、着替えて…姉の車で送ってもらったんだったか、徒歩で行ったのかは記憶が曖昧。日々死んでいく脳細胞。
会場に入っていくと、同級生の親(係員)から「もう始まるよ!」と声をかけられ(ああ狭い世界だ)、…遅刻ではなかったんですが出席者の中ではほぼ最後にやってきた形になったようで、知り合いから失笑されてました(ほっとけ)。おかげで席も後ろしか空いてなくて、漫画アニメでおなじみの一番後ろの席で所在無し。
目録みたいな冊子を読んでると式が始まり、町長とかその他来賓が何か喋ってた記憶はありますが、内容は1文字も覚えてません。来賓もそんな事は覚悟で喋ってるんでしょうが。
今でこそ荒れる成人式なんて風潮がありますが、自分らは学校の教師が専用の凶器を持ち込んで授業をするのに慣れてた世代ですので、成人式ごときで荒れるわけがありません。横浜銀蠅も一世風靡もビーバップもド真ん中世代だけど、尊重すべき来賓の話を黙って聞く忍耐力なんて初歩の初歩ですよ。
…とはいえ、相当眠かった記憶はありますw。

とりあえず式が終わり、写真撮影も無事終了、解散!
同級生の状況を目で追いつつ、仲の良かった連中とつるむことになります。当然ながら全員男。成人式での同級生の女共の記憶はほぼ無いなあ…。
町をぶらつき、レストランでだべり、その中の一人の家に皆でなだれ込んで積もる話をする…。それだけでしたw。
まあ会うのが2年ぶりとかなんで、話だけで時間が過ぎるというのもありましたし、遊びに行こうにも施設が無い。自分も福岡で散々遊んでましたから、こんな田舎で遊ぼうとするのは虚しいと割り切ってましたし。
でも、あの成人式後のだべってた時間は、充実したいい時間だったなあ…と思うのです。記憶で美化されてるとしてもね。
あの田舎にとって成人式ってのは、イコール同窓会なんですよね、しかも最後の。
その日、成人式後にだべった連中とは、その日を最後に会っていません。同窓会そのものは活動してるんでしょうが、おそらく自分は「音信不通」な同級生なんでしょう。仕方ない。

自分が成人式だった時代よりもさらに過疎が進んだ現在、多少は気質も変化したでしょうが、あの田舎の…成人式という名の同窓会は変わってないだろうと思います。
遊ぶ場所も無く、道は狭く、町民みんな知り合いみたいな場所で、荒れたり暴走したり出来る訳が無い。どこ行っても海か山だよ。
写真屋さんはデジカメになって助かっただろうけどねw。

成人式に出た時よりも2倍以上生き、身体のアチコチにガタが来ているおっさんの、脳裏に残っている大切な記憶でした。
ああ、やだやだ、年はとりたくないねえ。
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2017/01/09 Mon. 06:49 | trackback: 0 | comment: 3edit

VHSの思い出、そして終焉 

船井電機は、VHS方式の家庭用ビデオデッキの生産を7月末で終了する。

パナソニックやソニーなど大手電機が撤退する中、船井電機が国内で唯一、ビデオデッキを手がけていたという。
船井電機は1983年にビデオデッキに参入し、2000年前後には国内や欧米で年間1500万台以上を販売した。
その後はDVDの普及などで市場が縮小。近年は中国の工場の製品を主に北米向けに販売していたが、部品の仕入れが難しく「やめざるを得なくなった」(広報)という。
海外主要メーカーもすでに撤退しているとされている。

(転載ここまで)


VHSほど普及した、いわゆる「勝者」でも約40年ですか。
子会社であるビクターが開発したシステムを使い、先行するソニーのβを松下電器の販売力で逆転し、日立や三洋を仲間に引き入れ、β陣営だった東芝すら寝返らせるという、松下幸之助の晩年最後の大仕事。
技術・画質信奉者は嘆いたものの、結局…「2時間録画出来る120分テープ」という表記など、マニアではない一般のお客を大事にしたのが勝因でしたね。なんでβのテープはあんな分かりづらい表記にしたんだろう。
そんな全世界を席巻したVHS規格も、DVD出現とハードディスク録画の一般化で急速衰退。今でもこれを録画に使っている人はいたんでしょうか。アナログスカパーくらいなら録れるだろうけど。
まあ、偉大なる規格の終焉ですね。

家庭用ビデオデッキの登場は70年代。
独自規格時代は知りませんが、革命的なビデオデッキとしてソニーのβ規格であるJ1とかJ9が発売されたのは、70年代でも後半のこと。
自分の1学年下にソニーの電器屋の息子がいまして、直接の知り合いではなかったものの、成り行きで数回お邪魔したことがあります。
目につく電化製品は当然ソニーばかりだったんですが、お邪魔した自分らに衝撃を与えたのが最新鋭ビデオデッキJ9。放送された番組が録画出来て何度でも見れるという概念は、当時小学生だった自分には驚きでしかありませんでした。
そこで見せてもらったのが、しばらく前に放送されたアニメスペシャル『キャプテン』。日生ファミリースペシャルとして放送されたのが、自分…小5じゃなかったかなあ…。だからあの時の自分は小5だったと思います。
『キャプテン』は大好きでしたから当然見てたんですけど、まさか思いもよらぬ形でもう一度見れた。嬉しかったのか、記憶が凄く鮮明に残ってます。墨谷二中と青葉の決勝戦、青葉の監督(グラサン、森山周一郎)がエースの佐野に勝負を指示するシーン、最高ですわ。
また、高性能のJ9ならではの、再生しながらの早送りと巻き戻しもやってもらって大笑いしたのも覚えてますね。この機能、VHSではなかなか搭載出来なかったんですよね。
「この機械スゴいなあ!」と思ったこの日が、自分のビデオデッキとのファーストコンタクトとなりました。忘れられませんねえ。
これからしばらくすると、徐々に友達の家にビデオデッキが普及し始めます。当然ながら…裕福な家からね。

中学に入ると、よく遊びに行っていた親戚がビデオデッキ(VHS)を導入したので、録画したものを見るという経験も増えました。
友達の家でマクロス見たり、映画を見たりする経験もし、ビデオデッキへの憧れは加速していきます。
ただ、ウチの親は必要性を感じていなかったため、しばらくは指をくわえて余所を羨む日々。無理もないことですが。
そんな親がビデオデッキ導入に傾いたのは、自分が高2になる4月。この頃になるとビデオデッキの普及が加速度的に伸び、大半が持っている状況になったのです。…つまり「みんなが持っているならウチも買おう」という、実に日本人な思考だったんですねw。
この時、自分はβを買おうと主張したんですが(笑)、ウチはなんでもナショナルの製品しか買わない主義だったもんで、あっさり却下。
その代わりとして、当時の民生用最高級VHSである『NV-1000HD』を買わせたのです。定価24万9800円。
このデッキ、VHSとしては後に繋がる画期的機能を搭載した機種でした。

・テープ録画の重ね目が、FEヘッド(フライングイレースヘッド)でガチャガチャ砂嵐にならず滑らかに繋がる。ソニーのBetaProに対抗するべく満を持しての搭載。
・テープカウンターが4ケタの数字ではなく正確な秒単位の時間表示で、テープ残量も分単位で表示出来る。これは革命的だった。
・VHS初のジョグシャトルダイヤル搭載(本体側のみ)で、変速再生や高度な編集作業が出来た。
・ノーマルVHSながらハイクオリティ規格で画質が良く、音質もHi-Fiでステレオ放送時代に充分対応していた。
・2週間8プログラムの充実した予約が出来、毎週設定も可能だった。
・価格から分かる通り、フラグシップ機種として高級にガッチリ作り込まれていたので、丈夫で長持ちだった(ウチもそうだったし、ネットでもそういう感想が多い)。

…まあ、初めてビデオデッキを買う家が使うような機種じゃ正直なかったんですがw、自分は満足でした。家人からはボタンが多すぎると不評でしたが、使うボタンはここだ!と叩き込みました。
高い、ゴツいと言われてましたが、自分が実家を去ってからも最終的には金額に見合う働きをしてくれたようで、良かったと思ってます。
そんなビデオデッキで、『めぞん一刻』やら『必殺仕事人激闘編』やら『斉藤さんちのお客様』を録画してるというのもアレでしたがねw。
今思い出しても、漆黒に金文字でカッコいい機種だったわ。なんといっても「Video Master」と自ら謳ってたからね。バブルならでは。

高校卒業後、福岡に移ってからしばらくは赤貧だったのでビデオデッキは持ってませんでした。
知り合いから再生専用デッキを数千円で買い取り、それで映画やエロいのを見てましたね(再生専用デッキという言葉自体懐かしい)。
20才頃に、…素直になれないヘソ曲がりが炸裂して、8ミリのビデオデッキを買います(ソニー製)。「8ミリならテープ小さいから保管が楽だぞ!」と強弁しながら。まあそれは正しいんですが、知り合いとの互換性は無いのよねw。
それから5年くらいして、VHSと8ミリのツインデッキを買います(ソニー製)。左側に8ミリ、右側にVHSのテープが入って切り替えられるんです。
どっちも使えるから8ミリの録画資産も活かせるし、遅ればせながらVHS録画も出来るし。これは今でもあるよ。
2002年初頭、ふとS-VHSが欲しくなってオーディオ雑誌でちょっと話題になっていた、S-VHSとハードディスクのハイブリッドという珍しい機種を買います(ビクター製)。
確かにS-VHSは綺麗だったんですが、それよりも何よりもハードディスク録画という画期的なモノに出会ってしまったのが収穫でした。起動するとハードディスクの音がうるさいんで今はほとんど使いませんがw、この投資があったからこそテープ録画に見切りをつけられました。
そしてほどなく、ハードディスク&DVD録画へ移行していくことになります。
VHSを録画に使う事は無くなりました。見る機会も急速に無くなりました。
捨てられない貴重なエロビデオを見返す時くらいですかね(おい)。

フナイのビデオデッキなんて、安価で買える「安物」の代名詞だったのに…、VHSを開発したビクターではなく、その親玉のナショナルでもなく、泣く泣くβを捨てて参入したソニーでもなく、フナイがVHSの守護者になっていたとはねえ。
そしてフナイも生産をやめ、VHSという規格が終了する。フナイお疲れ様でした。
一般家庭に「録画」「タイムシフト」「保存」という概念を植え付けたVHSに感謝を。オタクという人種はVHS無しには有り得なかった。アダルトビデオというジャンルもな。
今や配信の時代で、録画すら過去の物になろうとしていますが、VHSが果たした役割は言葉に出来ないくらいデカいんです。
そのVHSビデオすら、デッキが無くて気軽に見れない時代がやって来る。いずれDVDも見れなくなるんですかね…。

人生を楽しくしてくれた、VHS規格に感謝を。
2016/07/25 Mon. 05:01 | trackback: 0 | comment: 0edit

自販機に放置してある飲料は飲めません 

昨日、出勤前に立ち寄ったショッピングモールの自販機のそばに…未開封の缶コーヒーがあったんですけどね。
忘れ物なのか何なのかは知りませんが、気にしない人であれば「もうけた!」と言って自分の物にするでしょう。自分の本性もそうですw。
しかし自分は、おっさんならではの嫌な記憶が甦ってきて、その缶コーヒーには触れもせず立ち去りました。自分らくらいの世代は、とある事件の記憶のせいで「もうけた!」と言えない人が多いと思うんです。
それは、小学生の時に起こった「青酸コーラ事件」「青酸チョコレート事件」、そして高校生の時に起こった「自販機パラコート飲料事件」です。

「青酸コーラ事件」が起こったのは小学校低学年だったんですが、自分らが普段から喜んで飲むコカ・コーラに毒が入れられたという衝撃的な事件で、ニュースもよく覚えてます。
確か、公衆電話のそばに置いてあった未開封の瓶のコカ・コーラを飲んだ高校生が、そのまま亡くなったという無差別殺人。
しかも数百mしか離れてない公衆電話では、別の男性が同じく青酸コカ・コーラを飲んで亡くなっており、さらにその近くのたばこ屋の公衆電話にも青酸コーラが置いてあったという、なんとも強烈な事件でした。
うちの親も学校の先生も「落ちてる物や、怪しい物は絶対口に入れるな!」と言うし、低学年の自分にはただただ怖い事件でした。
しばらくして、東京のどこかで青酸の入ったチョコレートが置かれていて、幸い誰も犠牲者はいなかったという事もありました。確かチョコレートが何十箱も紙袋に入れてあって、それで不審に思ったから難を逃れたという話だったと思います。
子供の自分からしたら、チョコレートが1箱だけ置いてあったら…そりゃあ食べるよねえ。これも怖い話でした。
この事件をきっかけに、自販機から瓶のコカ・コーラが急速に減ったそうで(王冠は上手く戻せば開封済かどうか分からんからね)、確かに瓶から缶に変わった時期と一致します。
結局、誰が何の目的でやったのか分からなかったとこも含めて、不気味な事件です。

「自販機パラコート飲料事件」は、忘れもしない1985年ですよ。
この年は、阪神優勝、つくば科学博、「毒入りキケン、食べたら死ぬで」のグリコ森永事件など印象的な出来事が多くて、この事件自体は印象が薄いかもしれませんが、自分らには重要な教訓を残しました。
自販機で飲料を買ったら、取り出し口に2本飲料がある。そりゃあ「もうけた!」と持って帰って飲みますよね。取り出し口じゃなくても、自販機の下に落ちてたり、上に置きっぱなしだとしても「もうけた!」と言いたくなるでしょう。
その置いてある飲料に、パラコート(農薬、致死性)が混ぜてあるとも知らずに…。
この年、何ヶ月かにわたってパラコート飲料が猛威を振るいます。使われたのは主にオロナミンC、捻って開けるフタだったんで未開封かどうか分かりづらかったからでしょう。
次々と犠牲者が出たんですが、不思議なのは日本中あちこちで発生したんですよね。
最初の1件は悪意で、2件目からは誰かの模倣だった可能性もあります。というか、大半は模倣犯の犯行だと思います。そういう点でいえば、事件というより現象ですね。
それが模倣犯だったにせよ、取り出し口に2本ある飲料というのが恐怖のシチュエーションになったのは言うまでもありません。
オロナミンCが、現在の引っ張って開けるプルトップ型になったのはこの事件以降です。

という訳で、自販機にもっともらしく置いてある未開封の飲料なんか飲めません。
缶だって、虫ピンで穴を開ける事は可能だしね。(昔は虫ピンで穴を開けたコカ・コーラを振りまくって、噴射させたりしてましたし)
意地汚い人間ですし、床に落としたものでも平気で喰えますが、その手の忘れ物は勘弁してください。青酸もパラコートも飲みたくありませんので。
2016/05/14 Sat. 06:25 | trackback: 0 | comment: 0edit

神社の鳥居には風格を求めたい 

神社で鳥居を建て替える際、従来の木や石製よりも安価な硬質塩化ビニール製にする動きが出ている。
老朽化や地震による損傷などで建て替えが必要になった際、費用は数百万円単位に上ることもある。

神社関係者は「多額の費用を氏子らに負担してもらう雰囲気が薄らいでいる」と認識。
一方、「鳥居は地域からなくせない」との思いも強く、負担が少ない方法での建て替えを選んでいるようだ。

「みんなに、これはいいと言ってもらえてうれしい」。
1日に八十八夜祭を終えた千曲市力石の清水神社。元氏子総代長の中曽根孝一さん(80)は、新しい鳥居への住民の反応を喜ぶ。

2013年9月、強風でケヤキ製の鳥居の柱2本が折れた。
中曽根さんらが宮大工からケヤキでの再建の見積もりを取ると、約1200万円と出た。
折れた鳥居の一部を再利用しても約500万円になることが分かった。
秋に例大祭があり、2年参りでもにぎわう同神社なので鳥居はなくせないと思案する中、硬質塩化ビニール製の鳥居を作る県外業者があると知った。
相談すると、約200万円でできると分かった。

中曽根さんらは同年11月、力石区約240戸に見積もりを示し、鳥居の材質についてアンケートを実施。
安価な点などから支持を受け、硬質塩化ビニール製で建て替えることが決まった。
約200戸から1万円ずつの寄付を受け、古い鳥居の撤去費を含め約230万円で再建した。

同神社の鳥居を製造した中島ビニール加工(茨城県日立市)によると、硬質塩化ビニールは水道管素材などに使われ、腐らずさびないので耐久性に優れているとする。
年間100~200基の鳥居を手掛け、神社だけでなく個人宅から依頼を受けた。

塩尻市広丘吉田の稲荷神社は08年ごろ、道路拡幅工事を機に、傷んでいた木製の鳥居を移転、硬質塩化ビニール製に更新。
費用は木製の半額以下だった。神社は地域の百瀬姓の人が共同管理し、祭りも開く。
更新を担当した百瀬太さん(74)は「鳥居は地域の絆で、なくせない」と話す。

長野市徳間の徳間八幡神社は14年11月に起きた県北部を震源とする地震で石製の鳥居の柱にひびが入った。
当時氏子の筆頭総代だった春日光雄さん(72)らが歴代の総代に相談し、硬質塩化ビニール製にすることを決めた。費用は、約500戸の氏子に寄付は求めず、神社の積立金などから捻出した。

鳥居は昨年9月の秋祭り前に完成し、「祭りに間に合って良かった」と前筆頭総代の田中博美さん(66)。
積立金などで対応した理由について「新しい住民が増え、地元の氏神様という意識が薄らいでいる。寄付を集めようとしても十分な協力が得られたかは分からない」と振り返る。

(転載ここまで)


自分が生まれ育った町には、主な神社が三つありました。
神社ってのは、当時外で遊びまくっていた子供にとっては格好のランドマークだったんですよね。石段登ったとこに境内があるので、周囲より高い場所にあるもんだし。
三つある神社でも、一番町中にある神社はすぐ近くに駄菓子屋があって、そこでいろんな遊び道具が買えたもんですから、常に数グループが遊んでましたね。飛行機飛ばすわ、爆竹鳴らすわ、ビー玉用の穴を掘るわ、缶けりで走り回るわ、やりたい放題ですよw。
神社側も子供のやることなんで諦めていたんでしょうが、今にして思えば…神社への親しみってのはそういうとこから生まれてくるんでしょう。
寺と違って神社は基本的に貧乏ですからね。地域と一体化することで生きながらえてきたんだと思います。

自分が高校の時に、三つの神社が統合される事になりました。
確か、神社側の事情(一つは後継者が無い状態で荒廃し始めていた)が大きかったと思いますが、町としても徐々に進む過疎で三つの神社を支えることが難しくなったのでしょう。
自分らがよく遊んだ、町中の神社は取り壊され、石段の高台も、そこにあった大木も無くなりました。更地の公園になったんじゃないかな。
荒廃し始めていた神社も取り壊され、規模が一番大きい神社に統合されたんですが、その際、社殿や社務所を新築しました。
その費用は、町内の氏子達の寄付で賄うこととなり、我が家でもその出費の事で母親が話をしていた記憶があります。(具体的にいくら出したのかは覚えてない)
月日が経って、統合された新しい神社が完成し、自分も母親と連れだって見物に行きました。
石段を登って、新しい社殿を見た時…まず「なんか…新し過ぎて重みが無えw」と思いましたね。母親と異口同音に「新し過ぎる」と感想を述べつつ奥へ行くと、名札がズラッと並んだ一角があって、それが今回寄付をした氏子の一覧だとか。
母親は熱心にウチの父親の名前を捜索しているのでw、自分はひとしきりぶらっとうろついてみたんですが、どうも…神社ってのは古いもんだという刷り込みのせいか、落ち着かなかったですね。
さすがに高校生ですから神社で遊ぶという事ももう無かったので、その新しい神社に行くのは…大晦日に紅白終わってから初詣に行くくらいでしたけど、行く度に「もう少し古くなってくれないと困るなあ」と思っていました。

上の記事は鳥居ですから、論点はちょっと違うかもしれませんが、果たして硬質塩化ビニールの鳥居に重みはあるのか?が気になります。
この記事の写真は見たんですが、思ったよりは鳥居だけど、経年劣化による重みとかは期待出来ない色合いでした。
たぶん古くなってきたら塗装を塗り直して対処していくんでしょうけど(そうじゃないと紫外線に耐えられない)、ちょっと悲しく感じますね。
もちろん、金が無い神社の判断は責められません。苦渋の決断である事は分かります。氏子制度も崩壊してるしね。
一つ腹立たしいのは、鳥居に使えるようなケヤキの大木が少ない故に価格が高騰するのであれば、何故馬鹿みたいにスギばっかり植えて、こういう用途の為の木材育成に力を入れないのかという点ですね。スギやヒノキでは鳥居として長持ちしないそうですし。石の鳥居は下手したら木材より遙かに高いそうで。
何よりも、価格重視で硬質塩化ビニールに流れてしまうと、宮大工の出番が減っていくんですよ。技術は保持しなければ失われていくもんです。
自治体からの支援があっても誰も文句は言わないと思うんですが、こういうとこにケチをつける無粋な奴はいますからね。空気の読めない奴が。

硬質塩化ビニールの鳥居が、どの程度の年月保つのかは分かりませんが、鳥居の幹に寄進者の名前が彫ってあったりするのは出来ないんでしょうね。
ランドマークとしての神社の鳥居さえあればいいのか、そこに風格を求めたいのか。
ウチの町の海沿いの神社(統合されてない)は、鳥居にあたるところに鯨の骨で作ったアーチ状のものが建っていて、インパクト絶大でした。昔は捕鯨で有名な町だったもんでね。
鯨の骨はアレですけれども、少なくとも…そこをくぐる子供の目と心に焼き付く鳥居であってほしいなあと思います。
2016/05/10 Tue. 04:30 | trackback: 0 | comment: 0edit

高嶋ちさ子女史の件で思う 

ええと、すいません(たとえ文法的に間違ってようと、すいませんで充分)。
連休だったんですが、バイオリズムというか、疲れと気分の滅入りが酷くてブログサボりました。すいません。
せっかくの連休、パチンコにも映画にも行かず、麻雀格闘倶楽部をしこたまやっただけという無駄っぷりでしたが、まあこういう「何もしない」時間というのも復活には大事なもんです。
で、今日も麻雀格闘倶楽部やりながら、チラッと見たトレンドの記事に…なんかドヨーンとしたダメージを受けてしまいました。
トラウマ発動といいますか、やな汗が出る話題です。

(ここから転載)

バイオリニストの高嶋ちさ子が寄稿し、2月12日の東京新聞に掲載されたコラム「ゲーム機バキバキ事件」に非難が殺到し、炎上状態となっている。

コラムによると、高嶋の家では子どもが平日にゲームすることを禁止しており、週末宿題が終わって時間が余ったらゲームをして良いというルールにしていた。
にも関わらず、金曜の夜に長男(小学校低学年)がゲームをしているところを発見、怒り狂った高嶋は「ゲーム機を手でバキバキと折った」という。
長男は悲鳴を上げ、すごく落ち込んだとしている。また、次男(小学校低学年)も、その日はチェロの練習をしていなかったため、「次男の分もへし折って壊しました」とのこと。
そして、「自分で働いたお金で買ったゲーム機を自分で壊す気持ち、あなたに分かるの? あなたはゲームが一生できないことを嘆くより、ママからもう二度と信用されないということを心配しなさい!」と二人に怒ったと明かしている。

ネットでは、高嶋のゲーム機を壊して叱るというやり方に否定的な声が多く寄せられている。
「子育てではなくただの虐待」
「そもそも何故子供が親に信用されなければならないのか。本来は子供が親を信用するもの」
「働けもしない子供に働いて稼いだものを壊す気持ち?」
「そもそも子供がこうなったのも親の指導力不足でしょ」
「子供の所有物を勝手に壊す権利は親には無いと思う」
「躾と称して子供の自由を奪う行為で躾けた気になっている親は醜い」
「息子という奴隷が欲しかったんですね」
「下手すれば子供から報復されてもおかしくないほど危険」
「ものをたいせつにという大事な教育観点が抜けている」

一方、「約束守らなかったのが発端だから、悪いのは子供 極端すぎるのは確かだけど」
「そう思われても、結果的に子供のためになるからこうしてるんじゃないですか?」
と一定の理解を示す声もある。

(転載ここまで)


うーん…なんというか、非常に難しい、心をえぐられる問題です。
というのは、自分の母親は…自分メテオが大事にしてるモノを容赦無く捨ててしまう人だったんですよ。
散らかしていて捨てられるというのは自分の自業自得ですが、きちんと本棚に整理している漫画本とか、時には引き出しに入れてあるモノでも捨てる事がありました。
学校から帰宅したら本棚が空っぽになっている風景というのは、こう…表現し難い悲しさです。小遣いで買ったモノでもお構い無しでしたね。
母親の基本思考は「漫画は悪」でして、まあ昭和14年生まれには多かれ少なかれそういう傾向があると思います。
それが、なにかのキッカケで発動すると、漫画だろうとプラモデルだろうと、エロ本だろうと(それはそれで別口で説教されるのさ)お構いなしに捨ててしまうのです。DXマガジンOREの創刊号なんか自分の目の前で捨てようとしやがって、思わずこっちも抵抗して奪い合いですよ。最終的に捨てられたんで、買い直しましたけど(捨てる方が金の無駄なんだぜ馬鹿野郎)。
不思議とレコードは捨てられませんでしたねw。ステレオ部屋にあったのと、母親の脳内ではそういう対象ではなかったのでしょう。

母親は母親の理論で捨ててるんでしょうから、こっちの心境は知ったことではないでしょう。
ちなみにウチの母親は昭和14年生まれの、ウチの島でも田舎の方の人で、家の手伝いとか体力仕事を有無を言わさずやってきた人ですから、70年代から80年代の文化を満喫している自分メテオに対して、軟弱だと思っていたことは間違いありません。典型的な「近頃の若いモンは…」というやつです。
こっちとしては育ってる時代が違うんで、親とはいえ言ってることには賛同出来ないことが多いんですけどね。ただ、最終的に親には逆らえないのです。
こういうのは、よほど親がくだけた考え持ってない限り、どの家にもあるもんだと思います。

聞くところによると、上の記事の高嶋ちさ子女史は…全くTVを見ない子供時代を過ごしたんだとか。
それはおそらく、高嶋ちさ子女史の親の主義でそういう風に育てられたんでしょう。そのことについて、高嶋ちさ子女史がどう思っているのかは知りませんが、「そういう路線を踏襲する事が、自分の人生を肯定する事に繋がる」意識はあるだろうと思います。私の育てられ方は正しかった!という意識ね。
だから、鉄は熱いうちに打った…ということでしょう。ただ、約束の範囲外である弟のゲーム機までへし折ったあたりに、八つ当たりに近いモノを感じますけど。チェロなんぞ低学年の子が一所懸命やる訳ないだろ。
そして、自分がやったことは正しいのだ…と自分に(無意識に)刻印するべく、ブログで喧伝する。まあ、高嶋ちさ子女史なりに内部葛藤はあるんでしょうが、最終的には自分の経験則で子供にトラウマを植え付け、従わせるのです。

自分が前の職場にいた時、お客さんの相談で「息子(小学6年)がゲームばかりやって、言うことを聞かない」というのがありました。
「一度心を鬼にして電源を引っこ抜いたら、息子がスゴい半狂乱みたいな暴れ方をしてしまったので、もう出来ない」とおっしゃったので、自分はこう答えました。
「それは継続して引っこ抜くなり、叩き壊すなりしないといけません」
内心、そう答えている自分にちょっと驚いてましたが、「息子さんは半狂乱になって暴れれば親は譲歩すると思ってしまったんです。やるなら徹底してやらないといけません」とか答えてました。
自分もゲームをどっぷりやってましたから、(いい大人ならまだしも、こんな時間を浪費するものを子供の頃からやるのはマズいよな)と普段から思っていたこともあります。幸いなことに、自分がSLGやRPGみたいな時間浪費ゲームに触れたのは高校時代からですから、それまではゲームを長時間やるという事も無かったですし。
でも一番デカかったのは、「ウチの母親なら、電源引っこ抜きや叩き壊しなんてのは当たり前にやるだろう」という経験則なんですよね。
結局、こういう事をしたらウチの母親は爆発する…というデッドラインは、悲しい目に遭わないと理解出来ないんですよ。何時までに帰らないとぶたれるとか、TVばかり見て勉強しないと説教されるとか。
親の立場でいえば(親になった事は無いけどさ)、そのデッドラインをハッキリさせるのが重要で、それは大人になった自分も理解出来るところです。だから、お客さんに対してそう答えた訳で。

高嶋ちさ子女史のやった事に対しては、トラウマ発動するくらい嫌悪感があります。デッドラインを引く為だったと譲歩しても、小学校低学年の兄弟に対しては過酷な仕打ちです。
ただ、100%間違いとも言い切れないのが教育や躾というもので、少なくとも高嶋ちさ子女史は…自分が親から受けてきた躾を100%ではないにせよ踏襲してるんでしょう。そうしたかったんでしょうし、だからこそブログにまで載せてる訳で。でも、ブログに載せてしまったことで墓穴を掘った気もしますがね…。
まあ、こういう場合は往々にして親戚や祖父母が兄弟にフォローしてくれるはずです。
そして、これからもこの兄弟は厳しい躾をされるんでしょう。それがどういう結果をもたらすかは、10年後20年後じゃないと分かりません。

ちなみに自分メテオは、もう母親に25年ほど会ってません。人生の半分以上会ってない勘定ですね(電話で会話は何度かしてるけど、最後の会話はもう5年前くらいかしら)。
会えばいろいろと言いたい事もありますんで、会わない方がお互いの為です。言われたくもないし、言いたくもない。
少なくとも自分は、ウチの母親の教育方針が必ずしも成功はしなかったと思わせた…つもりでいます。別に直接反抗した訳じゃないけど、間接的に一発殴り返した感覚ですかね。向こうはどう思ってるのか知らないけど。

高嶋ちさ子女史のお子さんが、従順に育つのか反抗するのかひねくれるのか、それは分かりません。正解は無いんですもん。
とりあえず、どう育ってもいいという覚悟だけはしといてほしいですね。
あ~、せっかくの連休で疲れだけはちょっと取れたのに、気分的にイヤな事を書いた。寝る。
2016/02/13 Sat. 05:19 | trackback: 0 | comment: 0edit

『台風文化圏』に雪が降る 

◎【奄美大島で雪】
鹿児島県奄美大島で、24日午後1時すぎにみぞれが降り、名瀬測候所は初雪を観測したと発表しました。
奄美市で雪が観測されたのは、明治34年以来115年ぶりです。

◎【特急みどり】
長崎県佐世保市と福岡市を結ぶ「特急みどり」は、25日午前2時前に、途中の駅で待機を繰り返しながら16時間かけて福岡駅に到着しました。

(転載ここまで)


九州のみなさん、大変ですね。
自分が住んでる富山は、豪雪に見舞われようと…まあどうにかなるようになってる『雪文化圏』ですけど、九州は『台風文化圏』なんですよね。
自分は『台風文化圏』と『雪文化圏』で、それぞれほぼ半々の年月を生きてきました。(途中、名古屋という謎文化圏にも住みましたが)
その経験と、前の会社でいろんな地方から来た人と接し話した経験とで考えると、この二つの文化圏は基本的に相容れません。
台風は危険極まりないし、雨も連れてきて暴れるんですけど、過ぎてしまえば台風一過ですから、万全の準備をして過ぎるのを待つ訳です。
雪は、一定以上降るととんでもない事になるというものなんで、準備がしにくい。ドンドン積もるから過ぎるのを待つだけでは事態は解決せず、除雪や雪かきをしないと生活に支障をきたします。オマケに寒いというね。
性質も対策も全く違うものだから、これが逆になると目もあてられない。

12年くらい前、中規模の台風が被害を出しながら日本縦断ルートに乗ったんですよ。富山直撃ルートです。
自分は天気図を見て「あ、これはヤバい」と感じ、職場の責任者に危険を訴えるも…どうも響かず(まあ無理だろうけど)、一応アポが入っていた仕事をこなすも途中から風雨が物凄くなって、夜のアポ宅への移動は困難な状況。
「こんな台風直撃で仕事がこなせる訳ねーだろ」とアポ宅へ変更電話を入れ、会社に電話を入れたら…誰も出ない。この時、富山市内は停電してまして、ビジネスホンもファクシミリも役に立たない状況だったそうで。
結局、携帯で連絡を取り「自分直帰しますね」と責任者に告げて、街路樹の倒木などを避けながらゆるゆる運転して帰宅した…という事がありました。
「台風ヤバいですって!」と言ってもピンと来ない人達、30m級の台風で被害が出まくっている市街地など、『雪文化圏』に台風が来るってのはこういう事なんだなあ…と思ったものです。

高校2年の冬、自分の出身地が珍しく雪化粧したことがあったんですが、積雪自体は5cmか10cmだったんですけど、バスが動かず運休しましたw。普段は自転車通学だったんですけど、バスもダメということで…雪の中8kmの道のりを歩いて高校まで行きました。(HR中に到着したので遅刻は遅刻でしたがね)
そういう有様になるのを知ってますので、今回ニュースで聞こえてくる九州各地の惨状はよく分かります。『台風文化圏』に雪が降るのもまた地獄です。
中学生くらいまでは、雪ではしゃぎますけどねw。

今回の寒波は確かに強力なんで、二の矢、三の矢があるかもしれません。
長崎・佐賀・福岡の北九州エリアはそれなりに寒いですから防寒着も持ってるでしょうけど、奄美大島とか6度でも震えてるでしょうね。富山なら「今日は暖かいね」という気温ですが、人間の順応の問題ですからね。
不慣れは仕方ないので、寒くない服装をしっかり確保して、そのうえで…雪なんかちっともロマンチックじゃねえという事を理解して頂けると嬉しいですねw。
ともかく、寒波が過ぎるまで除雪頑張りましょう。
2016/01/25 Mon. 05:23 | trackback: 0 | comment: 0edit

薔薇の花束の謎 

「心からのイタズラだと思ってくれれば」

今日ふと思い出してしまったので、そこはかとなく書いてるんですけどね。ええ、昔話です。

あれは、自分が名古屋に住んでいた2年半の間の出来事。1992年か1993年だったと思います。
前の職場は教育関連であり、かつブラックな側面がある某企業でしたが、自分がその時いた部門は指導部で、出勤は昼過ぎで退勤は…夜半くらいでしたかね。だもんで、アパートの部屋に帰宅するのは当然夜中な訳です。
ある日、仕事を終えて帰宅すると、玄関扉の投函口に…何か差し込んである。
(何これ?)と思いつつ引き抜くと………薔薇の花束。花束と言っても二輪か三輪くらいの小さなモノですが。
花など興味の無い自分には不可解な事態で、「え? え? どういうこと?」と驚愕混乱。心当たりは全く無いし、そもそも自分の誕生日でもない。該当する記念日も無い。
玄関扉の前に立ち尽くして呆然としていると、花束には…手紙というかメモのようなものが添えてあります。そこに書かれてあった言葉が…

「心からのイタズラだと思ってくれれば」

だったのです。
この手紙でさらに混乱に拍車がかかりまして、もう気持ち悪いことこの上無い。とりあえず中に入っていろいろと考えるものの、全くラチが開かない。
文面通り"イタズラ"なんであれば、こんな手の込んだイタズラを誰がするのか。男はあまりこんな事はしないだろうし、女といっても同僚はいても該当するような付き合いは無い。
また、ウチの職場ではなく、この近所で自分の部屋が見張られるようなポジションにお住まいの方とかだと、考えて分かるはずがない。大体、同じアパートにお住まいの方すら知らんのだから。
そもそも、自分にこんな"イタズラ"をして、何か得をしたり面白いことがあるのか? 無いと思うんだがなあ…。
誰かが自分に好意を寄せていると考えるほど、お花畑な気分にはなれませんでした。気持ちの悪さが圧倒的でしたね。

翌日、職場で男女問わず確認してみましたが、やはり該当者無し。もちろん"イタズラ"だった場合、シラをきってほくそ笑んでいる可能性もあるんですが、そこまで読めるほど賢い人間ではないのでね。
その後も、時折可能性のある同僚には確認をしましたが、結局犯人は分からず終い。
1994年の秋には名古屋から金沢に転勤したので、この一件は迷宮入りのお蔵入り。誰が何のために、自分の部屋の玄関に薔薇の花束を置いたのか、人生の謎の一つとなってしまいました。
まあ…やはり好意云々のお花畑ではなく、ただの"イタズラ"だったんでしょうねえ。犯人と動機は知りたかったなあ。

眠いので長文は書けないと判断しまして、とりとめの無いことを書きました。
23年ほど前のこの一件に心当たりのある方は、ぜひとも名乗り出てください(来たらビックリだけどw)。
2016/01/07 Thu. 04:47 | trackback: 0 | comment: 0edit

「ビッグ波羅門キング」という船名に赤面… 

長崎海上保安部によると、15日午前7時35分頃、長崎県西海市・江島沖の海上で、九州商船(長崎市)の客船「ビッグ波羅門キング」(19トン)から出火し、約2時間後、沈没した。

船には乗客6人を含む9人が乗っていたが、近くにいた漁船などに救助されて無事だった。けが人はいないという。

九州商船によると、船は同県・五島列島の新上五島町有川港から長崎市に向かう途中だった。
午前7時15分頃、機関室から爆発音がしたという。船長が118番し、海上保安庁の巡視船などが消火にあたった

(転載ここまで)


え~、これ…自分の出身地ですね…orz。またいらん事で有名になって。
この客船、おそらくフェリーとは別に就航している高速船で、フェリーなら2時間半くらいかかる航路を1時間くらいでかっ飛んでいくやつだと思います。ひょっとしたら男女群島あたりにも寄って、瀬渡し船みたいな役割もあったのかもしれない。
単純に速いんで、ゆっくり船の旅という風情は無いですけど、フェリーは一日2便なんで、その隙間を埋める役割がありますね。といっても、これも一日2便ですけど。
大人3500円とフェリーの2等客室に比べて割高なのと、手荷物が10kg以内とか制限があるので、家族連れの旅行には向いてないですね。
まあ…おそらくはトントンか赤字みたいな航路でしょうけど、島にも人が生活してるもんで、廃止されても困る訳です。

で、この「ビッグ波羅門キング」(なんて船名だorz)、10月10日に鳴り物入りで就航したばかりだったようなんですよね。
中身は新造船ではなかったかもしれませんが、それなりに取り繕ってピカピカにはしてあったと思うんですが…。
調べてみると、こんなのが出てきました。

(ここから転載)

「ビッグ波羅門キング」の運航再開予定日の変更ご案内

2015.11.06

いつも九州商船をご利用いただき誠にありがとうございます。

長崎~有川航路高速船「ビッグ波羅門キング」の機関整備による欠航で皆様には大変ご迷惑をお掛けしており、誠に申し訳なくお詫び申し上げる次第です。

当初、11月12日(木)から運航再開予定でしたが、予定が早くなり、11月10日(火)からの運航再開予定に変更となりましたので
ご案内申し上げます。
引き続き安全運航に万全を期してまいりますので、今後ともご愛顧いただきますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

(転載ここまで)

…これ、整備不良、あるいは機関部に何か問題を抱えてたんじゃないですかね。
機関部から爆発音がしたそうですし、欠航中の整備も根本的な解決にはならなかった。または原因が分からなかった。
んで「特に問題無さそうだし、2日早めて復帰するよ~ん」と再投入されて、一週間もしないうちに爆発炎上沈没。
実際はどうあれ、これは九州商船に落ち度があるなあ。

ともかく誰も怪我など無くて良かった。船の多い海域でもあったし、緊急時の対応はお見事でした。
たまに地名が出てくると、貴花田が高校生をどついたとか、日本一高いガソリンとか、こっちが赤面する話題ばっかりで…。今回もこの船名だけで恥ずかしいことこの上無いわ。
九州商船は、ちゃんと機関部に問題の無い高速船を、まともな船名で投入するように。よろしく。
2015/11/15 Sun. 13:47 | trackback: 0 | comment: 0edit