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メテオ・ストライクス!

いろんな分野で独り言を日々書きます。稼働終了したセガのクイズゲーム『Answer×Answer』を振り返る事もあります。

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追悼、飯野賢治 

今日は、ゲーム業界にとって大きなニュースが流れた日で、その事についてなんか書こうかなあ…と思ってたんですが、………それとは別に飛び込んできた一つの訃報に、最大級の衝撃を受けてしまいました。

(ここから転載)

飯野賢治さん(いいの・けんじ=ゲームクリエーター)が20日、高血圧性心不全で死去、42歳。
通夜は24日午後6時、葬儀は25日午前9時から東京都杉並区の妙法寺で。喪主は妻由香さん。

1995年に代表作のゲームソフト「Dの食卓」を発表。00-04年、朝日新聞家庭面で、10代のための人生相談「ティーンズメール」の回答者を務めた。

(転載ここまで)


そうだなあ…略歴にしちゃうとそんなもんか…。そんなもんなんだろうけど…。それじゃあ済まんのよ。
あの狂乱の90年代ゲーム機戦争。あの空前の盛り上がりの一端を演出したのは、間違いなく飯野賢治だと思うんですよ。彼なくしてあのお祭り気分も無かった。

そもそもは、次世代ゲーム機戦争の口火を切ったパナソニック3DOでの『フロポン君』、そして『Dの食卓』。ソフト会社ワープを率いての飯野賢治のクリエイター人生はここから始まりました。
3DOはスルーしていた自分でも、「3DOはダメだけど、D食は面白いらしいよ」という評判は聞こえてましたから、『スパ2X』と共に3DOを牽引したのは間違いありません。ま、自分が3DOを入手したのは、知り合いがソフト込みを3000円で譲って(押しつけて)くれたからですがw。
その当時から、積極的にメディアに出てくる人でしたねえ。自分の作るソフトがいかに優れているか、身体を張ってアピールしまくっていました。
自分はそういう姿勢に結構好感を持ってましてね。当時はまだそういう自己アピールが割と珍しかったのもありますが、この方、プロフィールに必ず生年月日を載せてたんですよね。「…この人、俺と同世代かあ…」
自分と同世代の方が、斬新な演出のソフトで名を挙げて業界に斬り込んでいってる図式は、ちょっと応援したくなるものでした。それが狙いで生年月日載せてたんでしょうけど。

『Dの食卓』はセガサターンにて、予約までして買いました。感想としては、「斬新でやったモン勝ち、ボリュームがあと少し欲しい気もするけど、案外これくらいがいいのか…」でした。
旧来のAVG、特に8ビットPC時代のコマンド入力型アドベンチャー(『黄金の墓』とか)と基本構造は変わらないんですが、それをポリゴン空間でのリアルタイム演出にして、しかも時間制限をつける。まさに90年代、ポリゴン時代のゲーム。
何より時間を制限する事で、ゲームを一本の映画として演出する事に成功しているのは特筆ものでした。よくスクウェアのアホ共が「映画のようなゲーム」と馬鹿丸出しの念仏を唱え、アホ信者がそれに追随してましたが、それはRPGでやっちゃダメなんです。AVGだからこそ一本の映画になり得る。
まあ一本道ですから、解くのにはさほど苦労はしません。穴から這い上がるところで苦労はしましたけどw。でもこの、2時間で終わるというのがこのゲームの肝であり、評価を高めたポイントだと思います。

プレイステーションとセガサターンに同時参入し、『Dの食卓』の移植を経て、完全新作の『エネミーゼロ』をプレイステーションで作る訳ですが…(笑)。
ここで世にも有名な、"プレイステーションエキスポ会場での、『エネミーゼロ』セガサターン独占供給発表"事件を起こします。大型スクリーンのプレイステーションマークが、モーフィングでセガサターンのマークに変わるという、ゲーム業界史上空前絶後の宣戦布告。こんなのはもう無いだろうねえ。当時のソニーの初回ロット数制限に反発しての事だったそうですが、セガサターン一筋の自分すら「飯野…大丈夫か?」と心配したものです。

こうして『エネミーゼロ』はセガサターンにて開発される訳ですが、このおかげで動画の苦手なセガサターンの動画事情も多少改善されます。シネパックからトゥルーモーションへの移行ですね。
こういうのは、不利な条件をどうにかしようと本気で取り組んでくれる馬鹿がいないと進歩しないものなんで、この点は飯野賢治に本気で感謝してますよ。
『エネミーゼロ』の製作進行状況は、4大サターン雑誌やゲーム批評などで逐一発信され、期待感を煽ってくれます。
そして、発売。ちなみに自分は、20万円の初回限定版は買ってませんよ、残念ながらw。

『エネミーゼロ』はねえ…、意欲はあるし、動画も(サターンにしては)綺麗なものでしたが、決定的に"面白くない"のが欠点でした。
ストーリーや雰囲気は、映画『エイリアン』に近いもので、それは別にいいんです。マズいのは、プレイヤーへの補助が足りなくて途方に暮れる場面が多々あった事です。『D食』の古い洋館とは違うSF設定なんですから、中盤までのとっつきやすさと難易度を下げて達成感を得られるようにすべきだったと思います。
なんというか…自分も、周囲で買った知り合いも、微妙な評価を下さざるを得ませんでした。あれだけ蜜月だったゲーム批評誌がこのゲームを酷評したのが、一番分かり易かったですけどねw(そして両者断絶)。

その後は、音だけのアドベンチャー『リアルサウンド-風のリグレット-』を出したり、ドリームキャストで『Dの食卓2』を出したりされてました。両方ともやりましたが、まあ、褒められるポイントもあるけど、総じて微妙かなあ…。
飯野賢治の感性でのゲーム作りは、おそらくここで限界だったのかなと思います。
この時期の飯野賢治で無視出来ない出来事は、"ドリームキャスト"のネーミングに一役買った事でしょうか。当時のセガの入交社長は飯野賢治を重用してましたしね。まあ、振り返れば悪くないネーミングでしたよ。

やがてゲーム業界から離れ、時々消息は聞くものの、もうゲームは作らないんだろうなあ…と思っていた矢先の訃報…。決して健康ではなかっただろうけど、燃え尽きてしまったんかなあ…。トゥイッター見ると5日前までボストンにいたようだし、寒さと疲労か…。やりきれん。
飯野賢治と公開イベントで舌戦を繰り広げたカプコンの岡本吉起は消息不明。スクウェアのヒゲももう再起不能。セガの鈴木裕も中裕司も一線に残ってない。ゲーム批評もゲーメストも無く、サタマガすら消えた。
あの、90年代のゲーム業界の盛り上がりは、もう伝説でしかないのでしょう…。

でも、飯野賢治の遺したものも結構あります。
プレイステーションとの決別の要因である初回ロット数は、ハードメーカーからソフトメーカー主導になりました。彼の独壇場だった大々的な新作ソフト発表会は、今や当然のように行われています。BBSを使ってユーザーとのコミュニケーションを図った先駆けでもあります。
『リアルサウンド』での視覚障害者や、見えるラジオでの聴覚障害者を意識した製作活動も印象に残ります。そしてワープで人材を育てました(ワンダと巨像の上田氏、メイドインワリオの竹内氏など)。
キチンと足跡を遺した風雲児だったと言えるでしょう。過去形なのが残念だけども…。

PS4の発表日に重なるとは、どんだけソニー嫌いなんだよアンタw。してやったりな表情なのかなあ…。
同世代として、飯野賢治の御冥福を心から祈ります。お疲れ様でした。
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2013/02/22 Fri. 00:06 | trackback: 1 | comment: 0edit

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追悼、飯野賢治 - メテオ・ストライクス!

クロムハーツ ネックレス | 2013/10/23 06:57

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