08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

メテオ・ストライクス!

いろんな分野で独り言を日々書きます。稼働終了したセガのクイズゲーム『Answer×Answer』を振り返る事もあります。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/-- --. --:-- | trackback: -- | comment: -- | edit

中村勝広「負広」GMを偲んで 

自分が「江本ってカッコいいな」という動機から阪神ファンになっていったのは、…たぶん1977年くらいだったと思います。正確に覚えてる訳じゃないけどね。
その頃の阪神といえば、田淵、ブリーデン、ラインバック、掛布、藤田、佐野、榊原ですよ。川藤も遠井も代打にいます。
投げる方では、エモやんはもちろん、山本、古沢、益山でしたねえ。なんかこう…いい意味で個性的なメンツですよ。監督はよっさんですわ。
そんで、二塁手に堅実な人がいました。中村勝広という選手がね。

当時の自分が見ても地味な守備の人だったんですけど、ドラ2であり、将来の球団幹部を嘱望されての入団だったそうで、阪神的には"早稲田でキャプテン"という肩書きが欲しかったのかなあ。
それでも、打率はそこそこなれど…本塁打は5年連続で10本以上打って、通算76本塁打というのは立派なもんです。和田みたいな徹底したヒット狙いではない、意外性のある打者ですね。
守備は当時の二塁手最高守備率を作ったくらい堅実でした。戦力としては充分な選手ですよ。
ちなみに、『新巨人の星』で星飛雄馬が右投手として再起した際の、最初の対戦打者が中村勝広という隠れ栄誉を持っています。

引退後、二軍監督としての中村勝広については、それほど印象はありません。
村山監督時代に一軍でヘッド格だったんだけど、あの気難しい村山さんと衝突して辞任したのは覚えてます。まあ村山時代は、ありとあらゆる全てが空回りしていたしね…。
そして監督就任。とにかく…なんとかしようとして、なんとも出来ない様子は手に取るように分かりました。目の下のクマが日に日に深くなって、中村監督自体が暗黒時代の象徴になっていきます。吉田監督の87年6位から、村山時代も通算して5年で4回の最下位という、もうどうしようもない状態ですから…。
そして、おそらくヤケクソになったのであろう92年。ベテランに見切りをつけて、亀山新庄久慈山田という22才前後の若手の積極投入と、オマリー&パチョレックという"ランナーを返せる中軸"の登場、そして何故か揃って確変した投手陣という要素が加わっての快進撃。
この時ばかりは、目の下のクマも活き活きとしていて、暗黒の象徴としての中村監督ではなくなっていました。ヤクルトの連敗も手伝って、勝負所の9月には…ほぼ優勝を手中にしていたんです。しかし、最後の最後に…。
湯舟が押し出しの1点だけで巨人に、マイク仲田が広沢の1発だけでヤクルトに0対1で負け、中日には鹿島→今中→山本昌→郭源治という…どこのオールスターだよという嫌がらせ豪華継投完封負け。
珍しく打線が奮起しても、守護神田村を連投で故障させてしまってリリーフがいない。挙げ句湯舟を起用して逆転負けを喰らう。
3連勝出来れば優勝!という状況からの最終15試合を、4勝11敗という崩壊劇。中村監督の目の下のクマは漆黒となっていました。
これが現在に続く、恒例の秋の失速の始まりでもありました。

結局、6年の中村監督時代は、6位、6位、2位、4位、4位、6位(途中休養)。
生島ヒロシには「予定通りの最下位でしたね」と言われ、ドラフトでは2通のうち1通が松井秀喜交渉権という…その後の阪神の運命を決める抽選を外すという失態を生中継され、自分ら阪神ファンはショックで失神。(しかも、この前夜に銀座のバーで「球団から松井を獲れと言われてるんだけど、俺は投手が欲しいんだよ」とホステスに発言していたと暴露されている)
あの当時は、「とにかく早くやめてくれ」と思ってましたね。…でも、藤田平が新庄を正座させたりしてドツボにハマっていくのを見て、案外マシだったんだな…と思う事にもなりましたが。
藤田平は論外としても、日本一監督でもあるよっさんが飄々としていて、ノムが土台を懸命に作っているのを見ると、結局"暗黒の象徴"は常に中村監督でありました。負広という呼び名になったのは、いつの頃からだったろうかねえ…。

オリックスで幹部やら監督を歴任した負広が、阪神のGMになったのは3年前。
自分らの反応は当然………拒否反応でありました。負け運を携えた人をGMに据えてどうすんだよ。
メジャー帰りの西岡と福留に大金を出し、ビデオ数分見ただけでコンラッド獲得を決める。オリックス以外の球団とはトレードをまとめられない。
仕事は誠実にやってるんだろうけど、自分らファンからすれば…最も叩きやすい"暗黒の象徴"。どうなってんだよ、補強はよ!
そして…今年。かなり有利だった優勝争いでしたが、またしても9月の失速が始まって、自力優勝消滅。それどころかこのままだと4位になってしまう体たらく。
こりゃあ、今年のストーブリーグは大ナタだな。選手はもちろん、監督も…そして負広も…。
などと考えていた矢先、あまりにも思いがけないニュースで思考が止まります。
「亡くなった…? 負広が? なんで?」

優勝争いの中での視察。あまりにも打てない打線に「ドラフトは小笠原とか言ってる場合じゃないなあ…」という悩みもあったかもしれない。めぼしい移籍候補も見えてこない。
そもそもが阪神ですから、外部からの雑音と重圧が大きい。うるさいファンも多い(このブログ主のように)。
加えて、酒が好きで…酒癖もあまり良くないという人ですから、不調を抱えつつ仕事をしていた可能性は充分あります。もともとお金持ちのお坊ちゃんらしいですから、ストレスを上手く発散出来ずに溜め込みそうだしね。
やめろとは思ってたけど、こういう幕引きは…。ファンはみんな「死んでどないすんねん…」と思ったに違いない。

これに発憤して阪神が勝ち出すというのは無理。
かの1985年さえ、日航機事故で球団社長が亡くなられてから6連敗してる。「明日も勝つ!」と言えば負けるし、「Vやねんタイガース」が刊行されれば優勝を逃す。そんなチームだし。知らなかったとはいえ、サヨナラで負けるというのが阪神。
優勝を逃すのは仕方ないとして、ドラフト戦略とかストーブリーグとか、そして和田監督の去就、掛布の役職シニアコーディネーターは「GM付き」なんでどうなるのか。いろんな事が、わやくちゃになりそうです。

別に今更「負広」呼ばわりしてたのを謝ろうとは思いません。やはり"暗黒の象徴"であり、「負広」であるのは変更しようがない。
自分が阪神ファンになった時には、すでに阪神の二塁手だった地味で堅実な選手。その後、紆余曲折あったものの、人生のほとんどを阪神に尽くしてもらった。本当に有難うございます。
今後、阪神がどうなっていくにせよ、極めて大きい存在の人だったと思います。「負広」と叩けるGMなんて、もう阪神には出てこないでしょう。
長い間、お疲れ様でした。有難うございました。
関連記事
スポンサーサイト
2015/09/24 Thu. 10:59 | trackback: 0 | comment: 0edit

コメント

コメントの投稿
Secret

トラックバック
トラックバックURL
→http://meteorsan.blog107.fc2.com/tb.php/1920-3e1fb8d9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。