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メテオ・ストライクス!

いろんな分野で独り言を日々書きます。稼働終了したセガのクイズゲーム『Answer×Answer』を振り返る事もあります。

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中村勝広(負広GM)の、それなりの功績 

阪神は9月23日に、脳出血で急逝した中村勝広GM(享年66)を悼む「お別れの会」を、11月19日に甲子園球場(兵庫県西宮市甲子園町1の82)で行うことを発表した。午前11時から開式で、一般の人も参列できる。

中村GMが選手、監督、フロントとして力を注ぎ続けた聖地甲子園に阪神ナイン、球界関係者、ファンが一堂に会し、感謝の思いを伝える。

(転載ここまで)


まあ、職務中の事ではあるから、こういうのもアリでしょう。
ただ感じるのは、やっぱり負広は球団にとって非常に大事な存在であったという事です。それは…ファンが考える「大事な」ではなく、球団から見て「大事な」ということね。

いつだったかこのブログで、和田の辞任や解任はあっても、負広GMの解任は有り得ない旨書きましたが、"聖域"というのとも違う、阪神と同化したような存在。負広GM=阪神の域だった訳です。
巨人の高橋由伸の例を出すまでもありませんが、"幹部候補生"という存在は必ずあります。球団はその選手・人材をなるだけ傷つけないように扱う訳ですね。
選手時代の負広GMはシブい2塁手で、決してスターではありませんでしたが、スターでない故にすんなり2軍監督に配置され、経験を積ませた上で村山監督の後釜としてすんなり監督になった。
監督としての手腕は大したものではありませんが、自分が目をかけた若手のやけくそ投入で最下位の連鎖は一度絶ったんですから、そこは評価しないといけません。DeNAの中畑みたいなもんですね。それ以上の上積みが出来なかったのは、ロクな補強も無い球団を考慮すれば仕方ないでしょう(藤田時代の惨状、八木だけが目立っていたよっさん時代と続く)。
結局、90年代の阪神を振り返れば、一番実績を残したのが負広だった。人柄が良くて球団に逆らわないことも合わせて、負広の阪神における地位は不動のものとなりました。
オリックス時代は一種の出向のようなもので(どんでんも晩年オリックスにいたし、そういう関係だよね)、そこでもまあ…実績はともかく「勤め上げた」という感じでしょう。オリックスのファンには申し訳ないけどさ。

そんで、阪神は『GM』という地位を負広に用意した。阪神の期待にまずまず応えてきた人材に対する、最大限の配慮をした役職です。球団に喰い込んだ選手の最高到達点とも言っていいかな。
たとえミスタータイガースとか呼ばれようと、ファンからの人気があっても、「使いにくい」と判断した人材は登用しないですからね。どんでんも2008年まではそういうルートに乗ってたんだけど、現在は「扱いにくい」という感じになってますから、どんでんGMが実現するかは不透明です。
負広GMは自身の監督時代の辛酸から、「なんとか即戦力になる選手を確保したい」という思惑で動いていたフシを感じます。だからメジャー帰りとかメジャー近辺帰りの獲得によく動いていたんでしょう。
実際、福留は取っておいて良かったですが、他は…。メジャー近辺帰りの質が高くない時代となり、そこから即戦力は望めないですから。
外国人の獲得に関しては、コンラッドのビデオ5分即決の件ばかりが有名ですが、ゴメスを獲得したことも忘れてはいけません。博打要素の強い部分なんで、こんなもんでしょう。
育成については現場要素の強い部分ですし、阪神特有の…縁故・スパイ・無能コーチ陣を切れないからこその負広GMですから(だからこそ球団にとって使いやすい)、おそらく今後も成果は挙がらなかったでしょう。
ただ、そこをどうにかしないといけない…という思いはあって、その思いと…球団に絶縁されてる同僚であり同郷の後輩である掛布の復権を取り持ちたいという配慮が融合して、掛布GM付きSDというのが実現したんです。これは良い一手だったと思いますよ。
まあ、掛布も遠慮はありますから、現場のコーチ陣(無能)に割って入って付きっきり指導というのは出来ないでしょうが、閉塞していた育成環境に風穴を開ける役割はあったはずです。現に伸びない若手(決して若手という年齢ではないが)の打撃は多少良くなりましたからね。総合的な伸びは…無かったですが、これはコーチ陣(無能)のせいだし。
阪神を熟知しており、阪神らしい和を乱さない負広GMではありましたが、なんとか強くしたいという意気込みはそれなりに持っていたのです。ま、…そのやり方ではどうもならんかっただろうけど。

結果論にはなりますが、掛布の2軍監督就任があっさりと通ったのは負広GMの功績です。その道筋をつけたんだからね。
金本が芳しくなかった時に、掛布が監督になるルートが可能性として出てきたのは良いこと。どんでんは熱心だけど傍若無人な面があるから、必ずしも最適解ではないのよね。
負広GMなりの種蒔きだった…と思うことにします。

「お別れの会」がどういう規模になるかは分かりませんが、それなりの人は来るでしょうね。
いわゆる負広チルドレンの、亀山久慈山田をはじめとするOBはほぼ来るでしょう。新庄は………来ない気がするなあw。
選手、2軍監督、監督、GMと、阪神という特殊な馴れ合い球団の中で長年働いてきた方ですから、そこは敬意を払いたいと思います。お疲れ様でした。
イカン、サラッと書くつもりが長い文章になってしまったw。こんなのでコメントもらっても困るレベル。
さて、出勤の準備しよ。
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2015/10/27 Tue. 12:07 | trackback: 0 | comment: 0edit

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