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メテオ・ストライクス!

いろんな分野で独り言を日々書きます。稼働終了したセガのクイズゲーム『Answer×Answer』を振り返る事もあります。

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不世出の"強い"横綱、北の湖 

結構前に、出会った中学1年生の頃にはすでに…五輪真弓のディープなファンだった、同級生のT君の話を書きました。今考えても大人びた子だったなあ。
いずれ五輪真弓の曲の事も書く予定だから、このブログにおけるT君の出番もまたあるだろう…と思っていたんですが、その後ちっとも五輪真弓の曲に触れておらず(そういうルーズなブログですし)、T君の出番も皆無な状態でした。
それがまさか…こんな突然出番が来るなんて、数時間前まで思ってもいませんでした。
中学生にしていっぱしの好角家で、ひたすら自分と相撲について語り合っていたT君は、熱烈な北の湖贔屓だったのです。

自分が相撲を意識して見始めたのは、おそらく貴ノ花の初優勝の辺りだと思うんですよ。記憶に残ってる断片がその頃の映像、あるいは取組に対する父親の反応だったりしますんで。てことは昭和50年、1975年辺りって事ですね。で、その翌年辺りから優勝力士とかの記憶も出てくる。
幼いながらに貴ノ花という贔屓力士を持っていたので、相撲は楽しみに見ていました。あの頃の男の子は、地面や砂場に円を描いたら即相撲取るくらいに、相撲そのものが浸透してましたしね。
で、その当時はいわゆる『輪湖時代』で、北の湖と輪島の両横綱を頂点に、個性的な大関陣、一芸に秀でた関脇・小結・平幕陣が実に多士済々で、土俵は充実していました。
千代の富士の一人横綱時代や、90年代初頭の藤島部屋旋風の頃の相撲も面白かったけど、東西の横綱が強いから土俵が締まって盛り上がるという点では、輪湖時代の面白さは段違い。貴乃花と曙&武蔵丸時代は両横綱で盛り上げる場面が少なかったし、青白時代は…青と白の全盛期がズレてるんだよね(だから両者とも優勝回数が多い)。
相撲を見始めた時に、北の湖と輪島という傑出した横綱がすでにいた事は、今考えれば非常に幸せでした。

自分が貴ノ花贔屓ということもありますが、北の湖に関しては常に「負けろ」と思っていました。そう思っていても北の湖は勝つんですけどね。
自分だけでなく、ウチの家族も親戚の人も、友達も学校の先生も誰もが「北の湖負けろ」と言ってまして、北の湖のファンという奇特な人はいませんでしたねえ。
小学生の頃にはスーパーカー消しゴムの亜流で、力士の消しゴムがありまして。当時の人気力士の特徴を捉えた造形で、トントン相撲に使えるヤツだったんですけど、アレも北の湖が強かったですねw。体型の問題だと思うんだけど、北の湖か高見山辺りの勝率が良かった記憶。
考えてみりゃあ…あの頃の身近に当たり前に相撲がある時代ってのは、大したもんだよねえ。だから北の湖と千代の富士の優勝決定戦の視聴率が50%越えたりしてたんだわ。

んで、中学に入ってT君と友達になったんですけど、その時初めて…熱烈な北の湖ファンという人と出会った訳です。
T君が熱心に力説する北の湖の魅力と凄さ。
「とにかく速い! 組み止めて自分の体勢に持って行くまでが速いし、勝機を逃さず一気に押し出す」
「差し手争いに強い! たまに相手有利の差し手になっても、慌てず組んで瞬時に巻きかえる」
「相手の上手を切るのがとんでもなく上手い! がっぷり四つから腰をクイッと捻るだけで上手を無効化する」
「あの巨体でいて動きが俊敏、スタミナも抜群」
「突っ張りも上手いし、突っ張りをいなすのも上手い」
「ふてぶてしいとこが王者の風格」
「たまに慌てる」…
自分は受け流すように聞いてたんですが、言ってることに関しては「なるほど…」と思ってました。力説してる北の湖の魅力は、いちいち心当たりがありましたし、だから強いというのも納得してました。
何より、北の湖ファンという人が存在して、ここまで熱烈に魅力を語るというのが目から鱗でしたね。T君には視野を広げてもらったと思います。
だからといって、自分が北の湖に転ぶということは無く、その後も貴ノ花→若島津→霧島とソップ型実力者を、そして琴錦→朝青龍とスピード&テクニックに長けた力士を贔屓にする路線だったんですけどね。それはそれ、これはこれ。
T君とは学校では謎の「巻きかえごっこ」とか、遊びに行けば延々相撲談義とか(BGM五輪真弓)、相撲観戦ライフを豊かにしてもらいました。
成人式の日だったかの最後に会った時も、「逆鉾が~寺尾が~」と二人で相撲の話して終わりましたw。元気でいるといいね。

北の湖は…確か高校に入る直前くらいに引退したんですけど、その後の千代の富士独裁時代を経て、横綱空位期(小錦と霧島の両大関が一所懸命盛り上げてた時期)あたりに…しみじみと「ああ、北の湖が現役だった時代は面白かったねえ」と思いました。『輪湖時代』という表現がしっくり来たのはその時ですね。
で、その頃には…いわゆる北の湖伝説というのも、物の本でだんだん漏れ伝わってくるんですよ。実話なのかフィクションなのかはともかく。

北の湖がまだ小畑敏満という名の小学生だった頃、「大きくて運動神経のずば抜けた子がいる」と相撲部屋のスカウトが来るようになっていた頃。大きい部屋の勧誘に混じって弱小の三保ケ関部屋も小畑家を訪問し、おかみさんが敏満少年に手袋をくれた。それが敏満少年の心を動かして、「あのおばちゃんのいる部屋に行く」となり三保ケ関部屋へ。

実質小学生の頃から入門、本場所での取組の後に両国の中学校に行っていた。授業中はいつも寝ていて、先生も「この子は力士なんだから」と寝かせておいたそう。
中学生にして三段目まで昇進するも、そこで7戦全敗を喫したことがある。7戦全敗経験者が後に横綱になったというのは北の湖のみ。
21才にして横綱になったが、それまでに8年のキャリアがあるのである。

俳優の石立鉄男がカウンターバーに飲みに入ったら、嫌いだった北の湖が一人で飲んでいたもんで、気づいてないフリして聞こえるように嫌味悪口散々言って、様子を伺ったら…北の湖が黙って涙を流して俯いている。
それを見た石立鉄男は飛んでいって「申し訳ありませんでした!」と平謝り。その時の北の湖の対応にも感激し、以来北の湖を応援し続けた。

とにかく記憶力がいい。取材陣が以前の相撲の話をすると「それは○年の夏場所の○日目ですね」と即答し、内容についてもよく覚えている。
また、他の力士同士の取組についてもよく記憶しており、研究熱心でもあった。

………まあ、そういう人だから、あれだけの横綱になったんですけどね。好き嫌いはともかく凄い人ですよ。

印象的な動画を。
本当は、北の湖が幕内力士をブンブンなぎ倒すまとめ動画みたいな、卓越した技術と取り口が入ってるヤツが良かったんですけど、探しても見あたらなかったんで…オーソドックスな奴で。


昭和52年11月場所千秋楽 結びの一番 輪島vs北の湖

これは、自分が小学生の頃に家で見ていて、手に汗握っていた伝説の名勝負ですよ。
東西の両横綱、13勝1敗同士の千秋楽相星決戦、しかも努力型のふてぶてしい北の湖と、天才型の華々しい輪島。これはもうドキドキしない方がおかしい。
前半北の湖が攻めるも輪島が凌ぎ、中盤から輪島が黄金の左下手投げで攻めまくり、それでも北の湖が耐えるという、全国で爺さんが何人か卒倒したであろう大一番。北の湖よく動いてるよねえ。
最後に切り返しという飛び道具を繰り出した輪島の相撲勘には舌を巻きますが、北の湖の強さがそれを引き出したとも言えます。
この名勝負で輪島は12回目の優勝をするんですが、ここで全盛期は終わり…あとは年に1回優勝するかくらいな感じになって、2年後引退します。
北の湖24回、輪島14回という優勝回数の釣り合いが、この時代の面白さを物語ってる気がします。


あとは、これも印象的なんですよ。


昭和59年5月場所 千秋楽 結びの一番 隆の里vs北天佑と北の湖インタビュー

これは北の湖の24回目、最後の優勝のインタビューですね。
この時の北の湖は、体調を崩して休場がちになり丸2年優勝しておらず、その間に千代の富士が怒濤の勢いで優勝を重ねてきていた時期。強くてふてぶてしかった北の湖が、憎まれ役から…声援を受けるようになってました。
この動画の前の一番で北の湖が千代の富士を破って13戦全勝をキープ。そして弟弟子の北天佑が、前日の千代の富士撃破に続き、この日に隆の里を破って見事な兄弟子への援護射撃。北の湖の優勝が決まりました。(北天佑、今見てもカッコいいよね)
そして、インタビュールームでの北の湖という珍しい事態に突入する訳ですが(大概は千秋楽、大銀杏を直しながらのインタビューだったからね)、この…本気で嬉しそうで笑顔をこらえきれない姿が、北の湖の本質なんだろうね。
体調崩して2年ぶりの優勝とか、北天佑の見事な援護とか、いろんな要素があると思うけど、本質は誠実な人だと思います。
この笑顔の北の湖、翌日の中学校でも話題になるくらい貴重なモノでした。うちの親も驚いてましたしw。
で、この15戦全勝優勝が最後の優勝となり、翌年の初場所、新国技館のこけら落としの中、引退します。
………この動画に出てくる、隆の里、北天佑、北の湖、千代の富士のうち、既に3人が故人になっているというのがね…。実に寂しい限りであります。

親方としても、理事長としても、決して名伯楽ではなかったと思います。それはおそらく、本質がすごく優しい人だというとこに起因するんでしょう。
朝青龍もよく庇ってもらってたし、同じ横綱としての苦労は理解していたはずです。だから朝青龍も北の湖には懐いてたし。
理事長として「相撲界への恩返し」を常々言っていたそうですから、逆に言えば…大胆な改革は期待できなかったという事ですが…。
それでも自分ら世代から見れば、変な言い方かもしれないけど"ミスター相撲"だったんですよね。相撲といえば盤石の北の湖、いかにして北の湖を倒すかが相撲だったんです。
いつだったか、北の湖理事長が文科省を訪れた際、渡海文科相がすごいペコペコ挨拶してて「どっちが来た方だよw」と笑ったんですが、やっぱ北の湖という存在には説得力があったんです。
輪島もガンで声帯取ってるんで、もう表舞台には出てこないだろうし、二代目若乃花(若三杉)も協会退職して車椅子生活だとか。三重ノ海も病気してたし、あの頃の横綱大関で身体がまともな人はいないんじゃないだろうか。千代も膵臓ガンだという話だし…。
輪湖時代、あるいは70年代から80年代の相撲も…終焉に近づいたようです。
貴ノ花が亡くなった時に感じた喪失感以上のものを、T君が今感じているのかもしれないなあ…。

北の湖は大きな存在でした。世間が認める最高の"強い"横綱。
不世出の存在感で相撲を楽しませて頂き、有難うございました。
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2015/11/21 Sat. 17:37 | trackback: 0 | comment: 0edit

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