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メテオ・ストライクス!

いろんな分野で独り言を日々書きます。稼働終了したセガのクイズゲーム『Answer×Answer』を振り返る事もあります。

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清原和博を思う 

野球好きのおっさんですから、清原和博という選手には思い入れがあります。
PL学園時代もそうだし、西武でも、巨人でも、オリックスでも、清原の状況は自然と確認していました。

PL学園の頃は、PL学園のファンであって清原個人はそれほどファンではなかったです。ただ、「KKコンビ」としての清原は好きでしたね。あんな投打のユニットはいまだかつて無いし、後の野球漫画にも絶大な影響を及ぼしたと思います。
甲子園通算13本塁打。1試合3本打った時はリアルタイムで見ててビビりました。こんな打者と勝負せざるを得ないPLのえげつなさが心に残り、後の松井四球論争を馬鹿馬鹿しく思える基になりました(松井が敬遠されないチーム作りを怠った星稜に、明らかな落ち度あり)。
甲子園でマウンドに立った時に結構な球を投げ、「何をやらせても一流やなあ」と思ったりしたものです。(控え投手の名前が"小林克也"だったよね)
ドラフトでの桑田に出し抜かれ事件については…あまり悲劇だとは思っておらず、「ああ、阪神は清原引けなかったかあ」と少し悔しく思った記憶。あの年は阪神優勝したもんで、心が満たされてたんだなあw。

西武に入団した清原が開幕していきなり本塁打放ち、次第にアジャストして数字が上がってくるのを見て、「…これは予想以上、阪神はすごく大きな魚を逃したんじゃないか?」と初めてもったいなく思いました。
新聞もTVも連日の清原フィーバー。"キヨマー"などという謎の呼び名まで出来てお祭り騒ぎ。
オールスター戦じゃあ、ルーキーなのにホームラン競争に出てきて、パカパカとスタンドに放り込んで観客を興奮させ、最後の一球を…素で空振りするという(空振りした清原の表情が忘れられんw)天性のスターっぷり。観客も両軍のベンチも大ウケだったなあ。
ルーキーイヤー31本塁打。破格過ぎて笑うしかない。王貞治の記録を抜くのは清原だと思ったものです。

31本、29本、31本、35本、37本。
5年目までの清原は順調でしたね。4年目にロッテの平沼にバット投げてジャンピングニーかましたのがアレだったくらいで。
しかし、この5年目の37本がシーズン本塁打のキャリアハイになるとは全く思ってませんでした。
確かに巷間言われているように、清原はチームバッティングを厭わない性質で、それが本塁打数を抑制した面はあるでしょう。しかし、通算525本の本塁打を打てる選手のキャリアハイが37本というのは、ケガをさっ引いてもちょっと異質。
清原和博とはどういう長距離打者だったのか、実は飛距離の出る中距離打者だったのではないか。でも打率が高くないからなあ…。
ここ一番に案外弱かったのではないか。でもサヨナラ本塁打歴代1位だけどw。オールスター戦MVPも歴代1位なんよね。日本シリーズもMVPは無いけど活躍はしてる。シーズンMVPは野茂に阻まれたから仕方ない。

本塁打王になること無く525本打ったことをどう評価するか。そりゃあ歴代5位の大記録だし、貶す道理も無い。素晴らしいことです。
ただ、高校時代、そしてプロ入りを同時代に眺めてきた人間としては、王貞治の記録を抜くはずだった逸材が…なんだか知らんけどそういう問題じゃないとこで終わった感が強いです。
秋山清原デストラーデの黄金時代があと2年続いていれば、数字的にも体調的にも違った展開があった気がしますけど、後の祭りです。

あ、あの時阪神に来ていたらどうなっていたか。
…そりゃあ、巨人に行くより数字的には悪かったでしょう。あの頃の阪神には清原を活かせる打線の厚みが全く無かった。3番桧山、4番清原、5番新庄(開眼前)なんてクリーンナップ、機能する訳がないw。清原敬遠は多かったでしょう。
浜風のフォローもあるとはいえ、甲子園の広さですから…年間を万全に働いたとして、2割5分、32本、80打点くらいだったと推測。それでも暗黒阪神には有難かったはずだけど。
よっさんの後にノムが来て、清原をどう処遇したかというのも興味深いですけどね。星野とは合わなさそうw。

失礼な言い方ですけど、清原自身にも「こんなはずじゃなかった」的な気持ちはあったんじゃないですかね。
それは数字的にも、巨人の自分への扱いにしても、世間の自分へのイメージにしても。
PL学園時代と西武時代に監督とチームメイトに恵まれ、幾たびも優勝を果たした。そこから歯車が狂った時にFAして巨人に行き、さらに何かがズレていったというか…。肉体を造ってコワモテになり、タトゥーを入れ、言動が荒れ、離婚していくスパイラル。身体もガタがきていたようですし。
どの段階で薬に手を出したのかは分かりませんが、もうにっちもさっちもいかない状況だったのでしょう。

突出した結果を残さず終わった大打者。
そして今後しばらくは野球界に関わることは出来ないでしょう。(江夏さんは真面目に更正して、それでも解説出来るまで10年はかかってる)
清原和博という名前は、野球好きの心を躍らせるものだったのに、なんというか…寂しい話だと思います。
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2016/02/03 Wed. 04:09 | trackback: 0 | comment: 0edit

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